1596年

人物

服部半蔵正成(はっとりはんぞうまさなり/まさしげ)

戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将。通称は半蔵で、服部半蔵の名でよく知られている。 松平氏の譜代家臣で徳川十六神将、鬼半蔵の異名を取る。実戦では、家康より預けられた伊賀衆と甲賀衆を指揮していた。父の保長は伊賀国の土豪で、北部を領する千賀地氏の一門の長であった。当時の伊賀には服部氏族の「千賀地」「百地」「藤林」の三家があったが、狭い土地において生活が逼迫したため、保長は旧姓の服部に復して上洛。室町幕府12代将軍・足利義晴に仕える事となる。その時、松平清康が三河国を平定し将軍に謁見するべく上洛した折り、保長と面会して大いに気に入り、その縁で松平氏に仕えることになったという。生誕 天文11...
人物

酒井忠次(さかいただつぐ)

戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将。徳川氏の家臣。 徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣として称えられている。生誕 大永7年(1527年)命日 慶長元年10月28日(1596年12月17日)先求院天誉高月縁心居士<< 戻る
年表

久松寺の建立

開基は慶長元年(1596)5月28日、開基者は本多美濃守忠政公。本多忠政公の室、岡崎三郎信康息女熊姫《ユウ姫》また(国姫)(徳川家康、織田信長の孫姫)亡父の菩提の為建立。
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革秀寺-青森県弘前市

・革秀寺 曹洞宗 青森県弘前市藤代1-4-1革秀寺は、山号を「津軽山」と言い藩祖為信公の菩提寺であります。為信公の遺言により岩木山の眺望(ながめ)の美しい現在地に二代藩主信枚公が亡父藩祖為信公追善のため、長勝寺八世格翁禅師を開山として慶長年間に建立したものであります。寺禄100石を賜る。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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蓮華寺-大分県国東市

・蓮華寺 浄土宗鎮西派 大分県国東市武蔵町大字池ノ内1708往昔、円通院安祥寺というお寺があった。その寺の由緒沿革等は一切不明であるが、慶長年間大友家譜代の徳丸氏の末裔五郎左衛門尉里久という者が、円通院の霊場の廃寺となったのを悲嘆して、村民に謀り力を合わせて一宇を再興して池中山安祥院蓮華寺と号した。開山は、実蓮社真誉上人莫無和尚である。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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泉龍寺-鳥取県日野郡

・泉龍寺 曹洞宗 鳥取県日野郡日野町黒坂421慶長年間に、当時の黒坂城城主「関長門守一政」が建立したとされ、「禅室珍目大和尚」を開山に迎えています。一政は当寺開山堂において「開山」として日々供養されています。(リンク先より)※慶長年間1596年から1615年 << 戻る
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光久寺-秋田県能代市

・光久寺 浄土宗 秋田県能代市萩の台1-23慶長のはじめ(三百八十余年前)、能代奉行大窪三河守光久の子、丹後光久の開基檀越の寺であります。当時、行であった性西法師を開山としております。縁起は、正保年中の災禍のため焼失いたしましたが、江戸中期の旅行家菅江真澄の紀行文「雪の出羽路」には、光久寺について次のように記されています。(リンク先より)※慶長 1596年から1615年 << 戻る
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見秀寺-秋田県大仙市

・見秀寺 曹洞宗 秋田県大仙市蛭川上屋敷207開山の直翁授性大和尚が遷化したのが元和元年(1615年)であることから推して、開創は慶長年代(1595年-1615年)と伝えられている。創建された場所は明らかではないが、寺伝によれば瀧のある場所に寺院があったとされ、また、「見秀寺境内記」によれば「山を切り崩した小高いところにあり、見るところの秀一なるが故に『見秀寺』と名づく」と記されている。(リンク先より)※一般的には慶長年代は1596年から1615年までの期間を指す。 << 戻る
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自性院-秋田県潟上市

・自性院 曹洞宗 秋田県潟上市天王字天王71当院の開基は太田善兵衛政唯(まさただ)で、江戸城を築城した武蔵国の太田道灌の末裔(まつえい)である。政唯の父資政(すけまさ)は会津若松に住んでいたが、政唯は故(ゆえ)あって天王村(現潟上市)に下り、菊地吉之丈に奇遇(きぐう)し、のち船越(現男鹿市)に居を構えた。かねて禅宗に帰依していた善兵衛政唯は、同村塩口・櫻庭金之丈の助力を得て、一宇の堂を建立し、久保田城下の歓喜寺 三世生山祖長大和尚を招請して自性院を開闢(かいびゃく)。時は慶長年間(1596~1615)と伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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法真寺-東京都文京区

・法真寺 浄土宗 東京都文京区本郷5-27-11当山は、和順山歓喜院法真寺といい、慶長元年(1596年)に京都知恩院より、寺号を附与されている。家康公御台所の天野図書(法真寺殿歓譽西喜大禅定門 寛永十年五月二十日寂)が、同家下屋敷を寄進し、寺の開基となる。この時の開山上人が、伝通院から来た栄誉泉良和尚という人であった。(リンク先より) << 戻る
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寳袋寺-神奈川県横浜市緑区

・八幡山 寳袋寺 曹洞宗 神奈川県横浜市緑区十日市場町895-1創立年代は慶長年間(1596年-1615年)で、顕堂長察大和尚が開山しました。 宗派は曹洞宗、山号は八幡山とし、本尊の聖観世音菩薩は木造の坐像で高さは一尺ほど。鎌倉の仏師運慶の作と言われています。本堂正面の「古寳袋」の額は山岡鉄舟筆で、寺宝としています。寺号「寳袋」は、建立地から古い巾着が掘り出された事によるものです。巾着は金銭などを入れる袋、いわば「宝の袋」であり「寳袋寺」という寺号になったといわれます。(リンク先より) << 戻る
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珠泉院-岐阜県岐阜市

・珠泉院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市三田洞東3-25-1慶長年間(1596~1615)に淳岩和尚によって粟野の地に創建される。昭和48年現在の三田洞東の地に移設される。(リンク先より) << 戻る
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桑名別院本統寺-三重県桑名市

・桑名別院本統寺 真宗大谷派 三重県桑名市北寺町47慶長元(1596)年、本願寺第12代教如【きょうにょ】上人によって、宗祖親鸞聖人の教えを共に聴聞していく、三重の門徒衆の大切な儀式・聞法の中心道場として開創されたのが当別院の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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松岩寺-埼玉県熊谷市

・松岩寺 臨済宗妙心寺派 埼玉県熊谷市本石1-102松岩寺は慶長元年(1596年)に喜庵西堂和尚によって開創された、 臨済宗妙心寺派の禅寺です。開創以来いくたびかの火災にあい、詳しい寺史は明かではありません。(リンク先より) << 戻る
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東正寺-三重県南牟婁郡

・東正寺 曹洞宗 三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿686慶長元年(1596)前住の雲深舜白和尚が、鳥止野浦江崎の地に小院を建立されたのが始まりとされています。その後、曹洞宗の寺院として、また東正寺という寺院名として、萬治3年(1660)に、華厳山和尚が同地に伽藍を建立、新宮市の宗応寺6世布國文益大和尚を迎え開山。(リンク先より) << 戻る
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常性寺-東京都調布市

・調布不動尊常性寺 真言宗豊山派 東京都調布市国領町1-2-8常性寺は、正式には「医王山長楽院常性寺」と称し、鎌倉時代に創建された由緒ある真言宗豊山派の寺院です。往古は多摩川沿いに壮麗な諸堂が建立されていましたが、安土桃山時代の慶長年間に旧甲州街道沿いの現在地に移築させられました。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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常纂寺-兵庫県神戸市西区

・常纂寺 浄土宗 兵庫県神戸市西区枝吉4-40永金山 常纂寺(えいこんざん じょうさんじ)は安土桃山時代から江戸時代にかけての慶長年間(1596~1615)に、芸蓮社願譽上人林甫大和尚により開山建立された浄土宗の寺院で、京都知恩院の末寺です。(リンク先より) << 戻る
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大増寺-東京都港区

・大増寺ホームページ 単立 東京都港区三田4-12-6大増寺の縁起は、約400年前、慶長年間にさかのぼります。江戸の八丁堀に、朝ごとに光を放つ池がありました。月山和尚が掘り起こしたところ、やさしい顔をした聖観音像が現れました。和尚は、その観音様を「朝日観音」と名付け、一寺を開基し、「池宝山大増寺」と命名。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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正覚寺-広島県呉市

・正覚寺 浄土宗 広島県呉市寺本町2-1正覚寺の始まりは約400年前の慶長年間で、もとは大阪府泉北郡湊村にありました。(リンク先より)※慶長年間  1596年から1615年 << 戻る
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常福寺-兵庫県三田市

・常福寺 曹洞宗 兵庫県三田市上深田186慶長元(1596)年の正月18日に、草創開山の一山渓榮和尚が当地に住山したのが常福寺の始まりです。お気軽にお詣り下さい。お待ちしております。(リンク先より) << 戻る
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高野寺-和歌山県和歌山市

・高野寺 高野山真言宗 和歌山県和歌山市元寺町北ノ丁18当山は慶長年間、興山寺勢誉法印の開基にして初代紀州藩主 浅野幸長公の命により保田の庄梁瀬の里より現在の地にうつす。高野山行人方と紀州藩との国交拠点になった寺院で、高野山輪番所として紀伊国名所図会に伝わる。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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泉養寺-千葉県市川市

・泉養寺 天台宗 千葉県市川市国府台5-26-18泉養寺は東京都江東区の深川を開拓した深川八郎右衛門を開基とする天台宗の寺院です。慶長元年(1596年)八郎右衛門の実兄・秀順法印によって深川元町に開創されました。(リンク先より) << 戻る
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泰宗寺-東京都豊島区

・泰宗寺ホームページ 曹洞宗 東京都豊島区駒込7-1-1泰宗寺は千葉県君津貞元村新御堂、最勝福寺の末寺で慶長年代攝津三田城主九鬼守隆の開基で江戸茅場町に建立されました。寛永拾年幕府の命に依り ・東京市下谷稲荷町に移転(リンク先より)※慶長年代 1596年から1615年 << 戻る
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大洞院-千葉県柏市

・花井山 大洞院 曹洞宗 千葉県柏市花野井1757大洞院の記録としては、江戸中期に作成された過去帳、本堂造営時の寄進者を記した芳名板、弁天堂の棟板、阿弥陀三尊を納める宮殿造営の奉加帳などが残っています。金石文としては、山門の六地蔵、戒壇石、弁天堂の鰐口、筆子碑などに、寄進者・年代などの記録があります。大洞院が曹洞宗寺院となったのは、慶長元年(1596年)とされています。(リンク先より) << 戻る
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蒼泉寺-茨城県常陸大宮市

・蒼泉寺 曹洞宗 茨城県常陸大宮市長倉1747長倉城主十四代佐竹義興公が曹洞宗善慶寺(現在の石岡市柿岡)の跡地に、慶長元年(1596)に創建。小田原最乗寺(道了尊と称され天狗様の寺として著名)の末寺同所早川海蔵寺より安叟宗楞和尚を排請開山し、現在まで四十六世に及んでいます。(リンク先より) << 戻る
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眞教寺-香川県高松市

・眞教寺 真宗興正派 香川県高松市国分寺町新居852慶長年間(1596年から1615年までの期間)に道場として開基後、元和6年(1620年)、正林寺(のち真教寺)は道恩という僧侶が建立したとされております。(リンク先より) << 戻る
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清心寺-茨城県ひたちなか市

・清心寺 浄土真宗本願寺派 茨城県ひたちなか市館山9001清心寺は慶長元年丙申(1596年)、藤原俊秀本宗に帰依し湊村田中坪に一寺を建立する。すなわち、清心寺の開基にして了知と号し、広く真宗教義を宣布する。延宝5年(1677)、第4代清伝法師の時、本山登録が許可され西本願寺の末寺となる。(リンク先より) << 戻る
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源聖寺-大阪府大阪市天王寺区

・源聖寺 公式ホームページ 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-2-25当寺の第七世浄誉上人(じょうよしょうにん)の書かれた源聖寺縁起によりますと、当寺を建立(こんりゅう)された初代は、深蓮社遠誉上人荷公和尚(じんれんじゃおんよしょうにんかこうかしょう)とおっしゃって、(中略)慶長元年春、諸国行脚に出られ、西成郡寺嶋〈現在の大阪西区九条あたり〉に草庵を結ばれました。従って、東国より来て行業(ぎょうごう)〈仏道の修行〉を西海の岸に営んだ故に、その寺名を東営山西岸寺(とうえいざんさいがんじ)と名付けられました。(中略)大坂の陣の後、徳川家康の治世になって世の中が安定すると、(中略)寺名を「東営山...
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廣正寺-長野県須坂市

・廣正寺 曹洞宗 長野県須坂市野辺町669廣正寺は、慶長年間(1596~1614)に下八町の大廣院開基大峡但馬守廣綱の次男である大峡兵左衛門廣正が創立し、父の分骨を収めて石碑を建てたとされている。(リンク先より) << 戻る