1579年

人物

松平信康(まつだいらのぶやす)- 徳川信康(とくがわのぶやす)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川家康の長男。母は関口親永の娘で今川義元の姪・築山殿。また、後に松平宗家の居城の岡崎城主を務めたため、祖父・松平広忠同様に岡崎三郎と名乗った。永禄10年(1567年)5月、信長の娘である徳姫と結婚し、共に9歳の形式の夫婦とはいえ岡崎城で暮らす。同年6月に家康は浜松城(浜松市中区)に移り、岡崎城を譲られた。7月に元服して信長より偏諱の「信」の字を与えられて信康と名乗る。元亀元年(1570年)に正式に岡崎城主となる。天正元年(1573年)に初陣する。天正3年(1575年)5月の長篠の戦いでは徳川軍の一手の大将として参加し、その後も武田氏との戦いでいくつもの...
人物

竹中半兵衛(たけなかはんべえ/重治/しげはる)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛。父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従弟に竹中重利。 羽柴秀吉の参謀として活躍し、黒田孝高と共に「両兵衛」「二兵衛」と称された。6月13日の命日と地元の農作業が落ち着いた一月後の7月13日には「軍師竹中半兵衛重治公を偲ぶ法要」が恒例で供養が行われる。生誕 天文13年9月11日(1544年9月27日)命日 天正7年6月13日(1579年7月6日)深竜水徹<< 戻る
便り

妙音院-千葉県館山市

・安房高野山妙音院(公式ホームページ) 高野山真言宗 千葉県館山市上真倉1689当院は、正式名称「光照山醫王寺妙音院」通称「安房高野山妙音院」 といい、南房総唯一の高野山真言宗であります。鎌倉期に源頼朝公第三男、鎌倉法院・貞暁(じょうきょう)が紀州高野山、一心院谷にご開基されました。天正七年(1579)大名里見義頼公の発願により、高野山別院・里見家の祈願寺として安房国へ開山され、 里見氏より破格の寺領161石を与えられ、保護されておりました。(リンク先より) << 戻る
便り

浄満寺-大分県日田市

・浄満寺 真宗大谷派 大分県日田市大字東町3-31当寺は、その昔、天台宗 近祜山 長龍寺と号した後、渡辺綱の子孫、明源が天正七年(一五七九)に真宗に帰依し、 龍宮山 浄満寺と改称し、寺地を石井川下村から隈町に移したとされます。(リンク先より) << 戻る
年表

学成寺 開創

開創  天正7年開山  成就院日賢上人学成寺は、天正7年(1579 年)邑美郡馬場町(今の鳥取市馬場町)に建立されました。<< 戻る