1571年

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北条氏康(ほうじょううじやす)

戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退け、後世につながる民政制度を充実させるなど、政治的手腕も発揮した。後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第4代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。生誕 永正12年(1515年)命日 元亀2年10月3日(1571年10月21日)大聖寺殿東陽宗岱大居士<< 戻る
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島津貴久(しまづたかひさ)

戦国時代の武将。薩摩の守護大名・戦国大名。島津氏の第15代当主。生誕 永正11年5月5日(1514年5月28日)命日 元亀2年6月23日(1571年7月15日)南林寺殿大中良等庵主<< 戻る
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毛利元就(もうりもとなり)- 三本の矢

戦国時代の武将・大名。毛利氏の第12代当主。 安芸吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。元就は用意周到かつ合理的な策略および危険を顧みない駆け引きで、自軍を勝利へ導く策略家として知られている。家督を継いだ時点では小規模な国人領主に過ぎなかった毛利家を、一代で山陽・山陰10か国を領有する戦国大名の雄にまで成長させた。子孫は長州藩の藩主となったことから、同藩の始祖としても位置づけられる人物である。三本の矢死ぬ間際の元就が、3人の息子(隆元・元春・隆景)を枕元に呼び寄せて教訓を教えたという逸話がある。元就は最初に、1本の矢を...