1560年

人物

今川義元(いまがわよしもと)

戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。生誕 永正16年(1519年)命日 永禄3年5月19日(1560年6月12日)天沢...
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浄國寺-大阪府大阪市天王寺区

・浄國寺 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-2-36無衰山浄國寺は永禄3年(1560)寂蓮社円誉上人が創建。約450年の歴史ある寺院です。大阪の名所旧跡・時事・風俗などを記した『浪華百事談』に「順慶町通りより御堂筋の西を浄國寺町と呼べり」とあり、もとは西区新町、浄國寺町と呼ばれた所に在したお寺で、創建よりほどなくして現在の松屋町沿いの下寺町にうつりました。(リンク先より) << 戻る
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徳蔵寺-東京都東村山市

・徳蔵寺 臨済宗大徳寺派 東京都東村山市諏訪町1-26-3徳蔵寺の創立は永禄3年(1560)、開山年は元和年中(1615~1623)と伝えられている。徳蔵寺は当時赤坂種徳寺末であったが、徳蔵寺に住した全叟由禅師は寺の復興に尽力し、 璧英禅師を奉請し中興開山となって頂き、全叟由禅師「自ら」は徳蔵寺中興2代(世)となった。(リンク先より) << 戻る
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法光寺-長野県諏訪市

・手長山 二尊教院 法光寺 浄土宗 長野県諏訪市岡村1-16-5戦国時代、諏訪の中心として栄えた諏訪氏の居城上原城の城下町(茅野市上原)には、鎌倉五山になぞられて上原五山と言われる寺院がありました。永明寺・金剛寺・光明寺・法(報)明寺・極楽寺がこれです。この中、法(報)明寺と光明寺の二ヶ寺が後日合併して、現在の法光寺(諏訪市岡村)にいたっています。 「起立記」によると、謝徳山報恩寺は永禄三年(1560年)、明蓮社賀譽岌興上人(京都百萬遍知恩寺第二十六世)の開山であり、遍照山新光明寺は、然蓮社貞譽良記上人(鎌倉光明寺第十二世)の開基であり、 第八世生蓮社岌往上人がこの二ヶ寺を合併、二仏を一緒に安...
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建功寺-神奈川県横浜市鶴見区

・建功寺 曹洞宗 神奈川県横浜市鶴見区馬場1-2-1ご本尊 釈迦牟尼佛創立 永禄三年頃(1560年)御開山 大洲長譽大和尚開基 諏訪三河守右馬之助(五代目寺尾城主)(リンク先より) << 戻る
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瑞龍寺-静岡県静岡市葵区

・瑞龍寺 曹洞宗 静岡県静岡市葵区井ノ宮町48戦国時代の永禄3年(1560年)、能屋梵藝(のうおくぼんげい)和尚によって開創された曹洞宗の寺です。 能屋梵藝和尚は、現在の静岡市内の沓谷にありました「長源院」の四世・梵梅和尚(ぼんばいおしょう)の法嗣でもありました。(リンク先より) << 戻る
年表

桶狭間の戦い

1560年、桶狭間の戦い。織田信長が今川義元を滅ぼす。<< 戻る
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西王寺-大阪府高槻市

・西王寺 浄土宗 大阪府高槻市成合東の町6-1永禄3年(1560年)の創建で、元禄2年に現在地に再建。山間に抱かれるようにして建つ。現在の本堂と庫裏は、平成7年に建て替えられた。本尊は阿弥陀如来立像で、観音菩薩・勢至菩薩を脇士とする弥陀三尊形式。鎌倉時代後期の作と伝えられている。また珍しい釈迦誕生時の様子の「摩耶夫人像(木造 32センチ 立像)があり、江戸末期の作と伝えられている。(リンク先より)・西王寺<さいおうじ><< 戻る