1559年

人物

狩野元信(かのうもとのぶ)

室町時代の絵師。狩野派の祖・狩野正信の子で、狩野派2代目。京都出身。幼名は四郎二郎、大炊助、越前守、さらに法眼に叙せられ、後世「古法眼」と通称された。弟は雅楽助。 父・正信の画風を継承すると共に、漢画の画法を整理しつつ大和絵の技法を取り入れ、狩野派の画風の大成し、近世における狩野派繁栄の基礎を築いた。重要文化財四季花鳥図 (京都・大仙院) 8幅 紙本著色 京都国立博物館寄託禅宗祖師図 (東京国立博物館) 6幅 紙本墨画淡彩蔬果図 (東京国立博物館) 4幅 紙本墨画淡彩朱買臣図 (東京国立博物館) 2幅 紙本墨画淡彩山水図 (東京国立博物館) 4幅 紙本墨画淡彩太公望・林和靖図 (東京国立博物館...
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龍雲寺-和歌山県新宮市

・龍雲寺 曹洞宗 和歌山県新宮市三輪崎2-15-6名称  太興山 龍雲寺(たいこうざん りゅううんじ) 御本尊 延命地蔵菩薩御開山 静岡県伊豆最勝院8世 大用精賢大和尚(龍雲寺を開かれた方)永禄2年4月28日創建(リンク先より)※1559年 << 戻る
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法海寺-福島県いわき市

・法海寺
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慎福寺-三重県鈴鹿市

・慎福寺 真言宗豊山派 三重県鈴鹿市神戸2-19-8寺伝によると、永禄2年(1559年)法印紹盛上人の開基と伝わり、往時は七堂伽藍を備え、神福寺と称していました。のちに神戸城主織田信孝の祈願寺とされ、寺領六百六十石を受領し栄えたものの、江戸時代の大地震により焼失し、その後再建されて明治の廃仏毀釈の際に寺名を慎福寺と改称したと伝わっています。(リンク先より) << 戻る
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宝福寺-静岡県下田市

・宝福寺 浄土真宗本願寺派 静岡県下田市下田1-18-26永禄2年(1559)11月、信長の圧迫をのがれ、本願寺第11代顕如並に法孫釈了善、真言を改め開基。文久3年1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂に勝海舟が来山し、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞い、許される。当日、龍馬は町の旅館にあって、その朗報を待っていた。(リンク先より) << 戻る