1555年

人物

陶晴賢/陶隆房(すえはるかた/たかふさ)

戦国時代の武将。大内氏の家臣。 晴賢と名乗ったのは、天文20年に主君・大内義隆を討ち大友晴英を当主に据えてから厳島の戦い前に出家するまでの数年間だけであり、それまでは初名の隆房を名乗っていた。「西国無双の侍大将」と呼ばれる一方で厳島の戦いに際し、弘中隆包の「元就の狙いは大内軍を狭い厳島に誘き寄せて殲滅しようとするものだ」という進言を入れずに出陣し大敗するなど、器量に乏しい面も覗かせる。生誕 大永元年(1521年)命日 天文24年10月1日(1555年10月16日)卓鍼軒呂翁全羨<< 戻る
便り

浄運寺-福岡県春日市

・浄運寺 浄土真宗本願寺派 福岡県春日市下白水南4-35蓮華寺第六世の住職宗節師の時代は室町の乱世にあり、その頃の浄土真宗の教えは飛躍的な発展をみせ、そのお念仏のみ教えはここ白水の地にも伝えられました。宗節師はその縁に出逢い他力易行道の教えに随喜、弘治元年(西暦1555年)に改宗を決意されました。(リンク先より) << 戻る
便り

長源寺-山梨県山梨市

・長源寺 曹洞宗 山梨県山梨市万力3200当寺開山本室徳源大和尚は、永昌院開山一華文英大和尚の弟子四徹の1人と云われた埼玉県瑞泉院四世であったが、弘治元年(1555年)5月、当山開基中山兀原救蟹法印和尚に請われ曹洞禅寺として長源寺を開堂したと古文書に記されている(リンク先より) << 戻る
年表

川中島の合戦

1555年、川中島の合戦。上杉謙信と武田信玄が信州(長野県)の川中島で戦った。<< 戻る