1508年

人物

桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)

室町時代後期の臨済宗の僧。薩南学派を形成した。桂菴 玄樹と表記される場合もある。 長門国赤間関出身。9歳のとき出家し、上京して京都南禅寺の惟肖得巌や景徐周麟らに学んだ。その後、豊後国万寿寺に赴いて学問を学び、大内義隆に招かれて郷里長門国永福寺住持となったが、1467年には遣明船の三号船士官となって明に渡海して蘇州などを遊学し朱子学を究める。1473年、日本に帰国したが、応仁の乱による戦禍から逃れるため、石見国に避難した。1478年、島津忠昌に招かれて大隅国正興寺、日向国竜源寺の住持となる。さらに島津忠廉に招かれて、薩摩国の桂樹院で朱子学を講じた。また、伊地知重貞と『大学章句』を刊行(1481年...
便り

寿髙院光明寺-広島県大竹市

・寿髙院光明寺 浄土真宗本願寺派 広島県大竹市元町2-13-71508年(永正5年) 初代住職 釈清順(俗名 日野左エ門三郎秀慶)が光明寺を開く。現在の山口県岩国市美和町にて開山したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
便り

金竜寺-福岡県糸島市

・金竜寺 曹洞宗 福岡県糸島市高祖1289永正5年(1508)高祖城城主原田興種公は、父原田弘種公菩提の為に現在の糸島市高祖に金龍寺を建立しました。御開山様(初代住職)には山口県瑠璃光寺の三世 桃嶽瑞見大和尚をお迎えいたしました。境内地は高祖城主原田家の菩提所の跡地であると伝えられており、また土塁の上であることから国の史跡に指定されております。(リンク先より) << 戻る
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玄忠寺-鳥取県鳥取市

・玄忠寺 浄土宗 鳥取県鳥取市新品治町176永正5(1508)年に、鳥取城下、湯所町高浜地(現在の鳥取北中学校付近)に草庵を築いたのではないかと伝えられています。その後城郭整備により矢野地(材木町)へ、さらに城郭整備により中の島(現在の玄好町公園)へと移転しました。玄好町という町名は玄忠寺の寺号がもとになっています(『因幡誌』)。またこの頃に浄土宗寺院としての体裁が整ってきたものと考えられます。(リンク先より) << 戻る