1481年

人物

一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶で詩人。説話「一休さん」のモデルとしても知られます。号に狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、国景(こっけい)があり、諱を宗純(宗順)といいます。出生地は京都で、後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。母親の出自は不明ですが、後小松天皇説に沿えばその官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられ、三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。幼名は、後世史料によると千菊丸とされています。6歳で京都の安国寺の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)に入門し、周建の名前を授かり...
便り

聞善寺-石川県金沢市

・聞善寺 真宗大谷派 石川県金沢市瓢箪町5-33室町時代、文明3年(1471年)比叡山延暦寺などの迫害を受け京より逃れてきた蓮如上人が北陸における布教の拠点として越前吉崎に吉崎御坊を建立しました。 その後、近江に居を構える武士が蓮如上人を助けるために主従7人で馳せ参じ願西という法名を賜りました。文明7年(1475年)には戦国の動乱の中で吉崎御坊が焼失し、蓮如上人は吉崎の地を後にされます。この時、願西は加賀の地へ移られたのではないかと思われます。そして、文明13年(1481年)には金沢城の西側に聞善寺を建立されました。しかし、藩の事情により江戸時代、正保2年(1645年)には現在の地に移って参り...
便り

信行寺-神奈川県川崎市多摩区

・信行寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県川崎市多摩区南生田8丁目1−1信行寺は文明13年(1481年)、阿波の国今津浦(現徳島県阿南市那賀川町)に西願法師により建立されました。以来、阿波における浄土真宗の興隆に努め、戦国時代の本願寺と織田信長との戦い(石山戦争)には、海を渡り、大坂の本願寺に兵糧を送り届けるなど教線拡大と教団の維持に大きく貢献して参りました。(リンク先より) << 戻る