1394年

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圓通院-宮城県大崎市

・圓通院 曹洞宗 宮城県大崎市三本木新沼字二又145-1当通龍山圓通院は第百代後小松天皇代の応永元年(一三九四年)上州(群馬県)白井村の最大山雙林寺三世曇英慧応大和尚によって開山された通幻派最乗寺系の寺院であり、御本尊は聖観世音菩薩であります。かつては鳴瀬川北岸に境内面積約二千坪を有する大伽藍でしたが、大正二年の鳴瀬川流域の大洪水の為、大正四年五月に現在地に移転し今に至るものであります。(リンク先より) << 戻る
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圓福寺-秋田県潟上市

・圓福寺 臨済宗妙心寺派 秋田県潟上市昭和大久保槐川端22-1寺伝によれば、応永年中(1394-1427)、現在の阿弥陀堂地区の肝煎伊兵衛により阿弥陀如来の金銅仏を土中から発掘し、草庵を建て安置したのが開創の端緒である。文禄年中(1592-95)大久保村に移転、壽峰宗寿和尚を開山として、祿壽山圓福寺と称した。 本尊仏は華厳釈迦三尊佛 (釈迦、文殊、普賢)で、藤原成長作と伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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常保寺-東京都青梅市

・瀑布山常保寺 臨済宗建長寺派 東京都青梅市滝ノ上町1316当寺は、昭和39年発行の「稿本青梅市史第6集」によると、応永年間(室町時代・西暦1394年)天ケ瀬町の真言宗金剛寺の第2世により創建されましたが、西暦1400年代頃になり、山梨県の塩山恵林寺より吹峰宗陰禅師が赴き臨済宗に転宗となりました。(リンク先より) << 戻る
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本誓寺-岡山県新見市

・本誓寺 臨済宗永源寺派 岡山県新見市大佐田治部3952当寺に記録はないが、大佐町史記載の本誓寺遠起によると開基応永年間(1394年~1428年)で「開基東郷左金吾・神応道安大居士」開山重雲大和尚となっている。その場所は、現在の新見市大佐田治部3885番地の1で、虎勢山裏山東方向に位置し、現在寺屋敷跡地は寺所有の山林となっています。(リンク先より) << 戻る
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浄珠院-愛知県岡崎市

・浄珠院 浄土宗西山深草派 愛知県岡崎市上和田町字北屋敷55上和田浄珠院の濫觴は、人皇第三十一代用明天皇の遺勅により造立された、上宮太子(聖徳太子)直作の孝養像を安置し、慈覚大師(天台中興の祖、円仁)が人皇五十四代仁明天皇承和年中(834~848)に創建された道場で、清光山大海寺と号す。その後、星霜相遷り、堂宇廃絶せしを、応永年中(1394~1428)、開山教然良頓上人(松平二代泰親の長男)京都円福寺の会下より故郷に帰り、仏殿を造立し、元の天台を浄土と改宗して、浄珠院と号した。(リンク先より) << 戻る
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海蔵寺-広島県広島市西区

・海蔵寺 曹洞宗 広島県広島市西区田方1-1-13応永年間(1394~1427年)中国の僧慈眼禅師が創建し、永正元年(1504年)曹洞宗に改宗したと言われている。ご本尊は十一面観音で応永時代の創建当時にお迎えしたらしく、仏師集団である印派(いんぱ)に属する仏師により造像されたと思われる。(リンク先より) << 戻る
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龍護寺-石川県羽咋郡

・龍護寺 曹洞宗 石川県羽咋郡志賀町酒見門前67応永元年(1394)に開かれたお寺で總持寺五院の如意庵開基、実峰良秀禅師によって開かれました。開創にまつまる竜の伝説が残されていて、伝説に基づく湧き水「龍護水」が今でも境内裏の谷からこんこんと湧き出しています。古くより竜宮に通ずる霊場と云われ、ここからついた「りゅうぐうでら」と「りゅうごじ」が訛って、地元の人には「りゅうぐじ」と呼ばれています。<< 戻る