1390年

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常念寺-愛知県一宮市

・柳星山 常念寺 西山浄土宗 愛知県一宮市大江1-11-26後小松天皇の御代、明徳元年(1390年)初代将軍 足利尊氏公の甥である空遄召運上人が真清田神社へ参拝の折、光厳法皇御追福のため、浄利建立を祈願し、一百日の参籠が満ちた暁に『当地に柳樹あり、彼の地 清浄なれば 連夜三星相舎(やど)る、汝 訪ふて願望を果たせ』との霊夢がありました。上人は歓喜され、所々を探しまわると、ある柳樹に星三体降り、それを拝むと弥陀・観音・勢至の三尊が光々と示現しました。上人は、これを末世において凡愚有縁の霊佛であると礼拝し、謹んで三尊を安置し、真清田神社の鬼門にあたる現在の寺島町に堂塔を建立しました。その柳樹および...
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称名寺-富山県黒部市

・含暉山称名寺 浄土真宗本願寺派 富山県黒部市荻生2711結城称名寺七代耀佛の次男、寂照が法師武者として越中に来て、明徳元年(1390)に朝日町道下に一宇を創建、布教に従事、当寺の開基となりました。その後、旧荻生地区辺(現在の一宿、青木等含む)を始め所々に道場を建て教勢を拡張していったのが、含暉山称名寺の由来であります。第5代(住職名不明)の時、信証の生まれた地名と結城の寺号から、芳賀称名寺と名のり、現在の地に建立(年代不詳、現境内にそのころの古木有り)、しかし、越後の長尾氏領内における一向宗禁令の余波により衰微の一路をたどります。(リンク先より) << 戻る
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崇福寺-岐阜県岐阜市

・崇福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市長良福光2403-1太白真玄の『峨眉鴉臭集』の一文により、明徳元年(1390)春に、壇越土岐満康が 太清宗渭たいしんそうい (京都・相国寺 塔頭たっちゅう 雲頂院開祖)の直弟、 竜潭宗濬りゅうたんそうえい を住持に詔請した。しかし、多忙のため、その師弟太白真玄にその地位を譲ったため、 太白真玄が赴任し開山となり、大寿山崇福寺が整備されていったことがわかる。(リンク先より) << 戻る
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地蔵院-静岡県浜松市南区

・地蔵院 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区高塚町4516護法山 地蔵院(臨済宗方広寺派大通末)は明徳元年(1390)に元道円密和尚により創建されました。元道円密和尚は、後醍醐天皇の子 宗良親王と共に遠州に入った公家出身の武士であり、親王が元中二年(1385)に亡くなると出家して当地高塚に庵を結んだとされています。(リンク先より) << 戻る
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称讃寺-奈良県橿原市

・称讃寺 浄土真宗本願寺派 奈良県橿原市和田町15-25当寺は南北朝時代の終期・明徳元年(1390年)に惣道場として建立されました。 以来、地域のご門徒方と共にお念仏の声を現在まで受け継いで参りました。(リンク先より) << 戻る