1274年

年表

日蓮聖人、身延山久遠寺を開山

文永11(1274)年2月14日付で赦免状が出され、3月8日佐渡に届きました。3月13日に佐渡を立ち、3月26日鎌倉に帰ります。5月17日、身延一帯の地頭である波木井実長の招きで山梨県の身延山に入り、身延山久遠寺を開山しました。建治元(1275)年6月『撰時抄』を述作します。建治2(1276)年、師の道善房が入滅し、7月21日、墓前に『報恩抄』を棒読しました。弘安4(1281)年11月、久遠寺に十間四面の大堂が建立されました。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

一遍上人、熊野での成道(時宗の開宗)

文永11年(1274)、遊行・賦算をしながら、熊野へ向かっていた道中、ある出来事が一遍上人を思い悩ませます。熊野山中で出会った一人の僧に念仏札を受けるように勧めた時に、信心が起こらないので受け取れないと拒否されたのです。一遍上人は、ここでこの僧が念仏札を受けなければ、周りにいる他の人も念仏札を受けないのではないかと思い、無理にその僧に念仏札を与えました。自らの布教方法に疑問を持った一遍上人は、すぐに熊野本宮証誠殿に参籠し熊野権現の啓示を仰がれます。すると、熊野権現が現れて次のように示されました。「融通念仏を進める聖よ、どうして念仏を間違えて勧めているのか。あなたの勧めによって、全ての人々がはじ...
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文永の役

1274年、文永の役。元の大軍が来攻、対馬・壱岐、次いで博多付近に上陸したが、暴風雨によって引き上げた。元寇。<< 戻る