1271年

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日蓮聖人、佐渡での活動

文永8(1271)年10月28日、日蓮聖人は佐渡に到着します。文永9(1272)年2月、『開目抄』を述作します。文永10(1273)年4月25日、『観心本尊抄』述作し、同年7月8日、大曼荼羅御本尊を初めて書き顕示します。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

龍口法難

文永8(1271)年9月12日、幕府や諸宗を批判したとして捕らえられ、腰越龍ノ口刑場にて処刑されかけますが、斬首の刑は中止され、その後、佐渡流罪となりました。<< 戻る
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一遍上人の再出家

再出家することになり最初に、文永8(1271)年信濃国(長野県長野市)の善光寺を訪れました。ここで「二河白道図にがびゃくどうず」を写して自分の本尊とされました。「二河白道」とは、唐の善導大師が“旅人・二河(火の河、水の河)・一本の白い道・阿弥陀如来・釈迦如来”を用いて、極楽往生を願う人の信心を表した比喩です。一遍上人はこの善光寺での参籠によって、人々への化益を強く決心されました。<< 戻る
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フビライ・ハンが国号を元と称す

1271年、フビライ・ハンが国号を元と称す(~1368)。<< 戻る