1227年

人物

チンギス・ハン – チンギス・カン

モンゴル帝国の初代皇帝。大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。死後その帝国は百数十年を経て解体されたが、その影響は中央ユーラシアにおいて生き続け、遊牧民の偉大な英雄として賞賛された。特に故国モンゴルにおいては神と崇められ、現在のモンゴル国において国家創建の英雄として称えられている。生誕 大定2年4月16日(1162年5月31日)諸説あり命日 太祖22年7月12日(1227年8月25...
人物

島津忠久(しまづただひさ)

平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。鎌倉幕府御家人。島津氏の祖。正式な名乗りは惟宗忠久という。出自・生年については諸説ある。治承3年(1179年)2月8日、春日祭使の行列に供奉している記録が史料上の初見とされる(『山槐記』)。島津忠久は元々摂関家に仕える都の武者であったが、治承・寿永の乱において源頼朝が台頭してくると、母が頼朝の乳母子だった縁で頼朝に重用されるようになってくる。生誕 命日 嘉禄3年6月18日(1227年8月1日)浄光明寺殿 得佛道阿弥陀佛<< 戻る
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乗誓寺-神奈川県横須賀市

・東教山 乗誓寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横須賀市東浦賀1-20-10乗誓寺の開基である了源(平塚入道了源)は、藤原鎌足を祖として十八代を数える末裔であり、伊豆の曽我十郎祐成を父に、大磯の虎御前を母にもち、出家前の名を河津三郎信之と称したと伝えられる。曽我十郎、虎御前とも、江戸期より今日まで、歌舞伎や謡曲、浄瑠璃、浮世絵などでは『曽我物語』として広く民衆に親しまれ、仇討物語の代表的な演目として有名である。河津三郎信之(出家前の了源)は、父と同じく武士として源実朝に仕え、多くの武功を残した。その恩賞として平塚の地を賜るが、同族の宿縁と積年の仇敵に感じるところがあり、求道の日々を過ごすこととなる...
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光栄寺-岡山県井原市

・光栄寺 浄土真宗本願寺派 岡山県井原市芳井町吉井651当寺は、開基である法名浄源が明光上人(光照寺)に供し備後に下り、1227(安貞元)年に備中豊谷山に庵を結び、豊谷山光栄寺となる。その後、「澤岡山(さおかざん)光栄寺」と改称する。本堂での御法座や書道・華道教室、日曜学校などで門徒や地域の人が集うお寺であった。(リンク先より) << 戻る
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大報恩寺-京都府京都市上京区

・千本釈迦堂 大報恩寺 真言宗智山派 京都府京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町鎌倉初期安貞元年(1227)義空上人によって開創された寺です。本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも両陣営から手厚き保護を受け、奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されています。義空上人は、藤原秀衡の孫にあたり、19才で比叡山澄憲僧都に師事、拾数年ののちこの千本の地を得て、苦難の末本堂をはじめ諸伽藍を建立しました。(リンク先より) << 戻る
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願成寺-福島県喜多方市

・願成寺 浄土宗 福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833叶山 三寳院 願成寺と申します。嘉禄三年(1227年)、法然上人の高弟 隆寛律師 御開山、開基はその弟子 實成房上人。大施主は、時の領主であり、頼朝の供奉員 佐原十郎義連公。(リンク先より) << 戻る
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光行寺-広島県福山市

・光行寺 浄土真宗本願寺派 広島県福山市神辺町川北764当山開基勝尊上人は親鸞聖人の直弟子、明光上人の従者(三大老)の一人として安貞元年(1227年)沼隈山南に一寺を建立し東光坊と称す。その後山南に在りし寺を中条(西中条深水)に移し、更に神辺古城に移す。 元和年中、水野勝成福山に城を築くに当たり四方の道俗居を福山に移す。その時寺を城東に移し(現在東町光善寺)、神辺の旧地に一寺を建立して覚圓寺光行寺と号す。ここに第十世祐教の弟、祐尊をして継がしむ(1624年)。その後神辺大火にあい古城に在りし寺を川北領家(現在地)に移し今日に及ぶ。(リンク先より)<< 戻る
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大谷廟堂が破却される

1227年(嘉禄3年)、比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却する。<< 戻る