1211年

年表

法然上人の帰洛

建暦元年(1211)11月17日帰洛を許された上人は、その月の20日、5年ぶりに京都の地をふみましたが、旧居吉水の禅房はほとんど荒廃していたので、『 愚管抄 (ぐかんしょう) 』の著者であり、兼実の弟にあたる青蓮院慈円(1155~1225)の厚意にあまえて大谷の禅房(知恩院勢至堂)に入りました。<< 戻る
便り

知恩院-京都府京都市東山区

・知恩院 浄土宗 京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町1211年(建暦 1年)法然上人帰洛。大谷山上の禅房(現在、勢至堂の場所)に入る 1212年(建暦 2年)正月二十五日、法然上人入滅。門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築く1227年(嘉禄 3年)比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却1234年(文暦 1年)法然上人の弟子源智が上人を開山として諸堂を興す1530年(享禄 3年)勢至堂の再興。後奈良天皇宸翰「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜う(リンク先より)<< 戻る