12月06日

便り

12月の出来事/有名人の誕生日・命日

人物

勝谷誠彦(かつやまさひこ)

コラムニスト。日本写真家協会会員。三尋狂人(みひろ くると)のペンネームで主に風俗関連を専門とするフリーライターとして活動した。編集プロダクション『ブレーメン・ファイブ』を設立した。2017年7月2日に執行された2017年兵庫県知事選挙に立候補したが、現職の井戸敏三に敗れた。生誕 1960年12月6日命日 2018年11月28日<< 戻る
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12月6日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 12月12日二七日忌 12月19日三七日忌 12月26日四七日忌 1月2日五七日忌・35日法要 1月9日六七日忌 1月16日七七日忌・満中陰・四十九日法要 1月23日百箇日忌 3月15日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
人物

海老一染之助(えびいちそめのすけ)

太神楽師(だいかぐらし)。海老一染之助・染太郎(えびいち そめのすけ・そめたろう)という、実の兄弟による伝統演芸コンビの弟。メインの曲芸担当。父親は落語家の三遊亭圓駒。かつては落語協会に所属していた。「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬を回す芸が有名で、正月のテレビ番組には欠かせない出演者だった生誕 1934年10月1日命日 2017年12月6日至藝染朗信士(東京都中野区の東光寺)<< 戻る
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増谷文雄(ますたにふみお)

仏教学者、翻訳家。福岡県小倉市(現・北九州市小倉)生まれ。原始仏教関係では博士論文「アーガマ資料による佛伝の研究」、著書「根本仏教の研究」等、親鸞や道元研究で「正法眼蔵」訳注が著名。著訳書は新装版での再刊も含めると約80冊以上出されている。戦前に数冊、オックスフォード大学の宗教学者エストリン・カーペンター(Estlin Joseph Carpenter 1844~1927)を訳し、早くから宗教思想史・比較宗教学からの仏教論考・仏伝を著している。NHKラジオ等で講義や、講演を積極的に行っていた。生誕 1902年2月16日命日 1987年12月6日<< 戻る
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仁科芳雄(にしなよしお)

物理学者である。岡山県浅口郡里庄町浜中の出身。日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。死去から4年後の1955年、原子物理学とその応用分野の振興を目的として仁科記念財団が設立された。生誕 1890年(明治23年)12月6日命日 1951年(昭和26年)1月10日誠明院巧譽報徳中正居士<< 戻る
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水上瀧太郎(みなかみたきたろう)

小説家、評論家、劇作家。代表作『貝殻追放』(1920-41年,随筆評論集)、『大阪』(1922年)、『大阪の宿』(1925-26年)、『銀座復興』(1931年)など多数。生誕 1887年12月6日命日 1940年3月23日賢光院智阿文徳章蔵居士<< 戻る
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島津久光(しまづひさみつ)

江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本の政治家。幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者で、公武合体運動を推進した。明治政府の内閣顧問、左大臣。重富島津家当主、のち玉里島津家初代当主。 位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。字は君輝、邦行。雅号は幼少時が徳洋、以後は大簡・双松・玩古道人・無志翁と号した。島津家第27代当主(薩摩藩10代藩主)島津斉興の五男で庶子。同28代当主(11代藩主)島津斉彬は異母兄、同29代当主(12代藩主)島津忠義は長男。次男・久治は宮之城家、四男・珍彦は重富家、五男・忠欽は今和泉家、と島津家の旧来の分家をそれぞれ相続した。生誕 文化14年10月24日(1817年12月...
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徳川光圀(とくがわみつくに)

常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。生誕 寛永5年6月10日(1628年7月11日)命日 元禄13年12月6日(1701年1月14日)<< 戻る