
12月04日


12月4日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 12月10日二七日忌 12月17日三七日忌 12月24日四七日忌 12月31日五七日忌・35日法要 1月7日六七日忌 1月14日七七日忌・満中陰・四十九日法要 1月21日百箇日忌 3月13日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

津田左右吉(つだそうきち)
20世紀前半の日本の歴史学者・思想史家。『古事記』と『日本書紀』を史料批判の観点から研究したことで知られる。生誕 1873年(明治6年)10月3日命日 1961年(昭和36年)12月4日<< 戻る

中島敦(なかじまあつし)
小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。生誕 1909年(明治42年)5月5日命日 1942年(昭和17年)12月4日<< 戻る

藤原道長(ふじわらのみちなが)
平安時代の中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の五男。後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の外祖父にあたる。 父・兼家が摂政になり権力を握ると栄達するが、五男であり道隆、道兼という有力な兄がいたためさほど目立たない存在だった。しかし、兼家の死後に摂関となった道隆が大酒、道兼が伝染病により相次いで病没。後に道隆の嫡男・伊周との政争に勝って左大臣として政権を掌握した。一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后(号は中宮)となす。次の三条天皇には次女の妍子を入れて中宮となす。だが三条天皇とは深刻な対立が生じ天皇の眼病を理由に退位に追い込み、彰子の生んだ後一条天皇の即位を実現して摂政となる。1年ほど...