武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)
武蔵坊弁慶は、平安時代末期の僧衆。源義経の郎党。 『義経記』では熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われるが詳細は不明。元は比叡山の僧で武術を好み、五条の大橋で義経と出会って以来、郎党として彼に最後まで仕えたとされる。弁慶の立往生義経が衣川の館を攻められた際、弁慶は並み居る敵兵を次々倒すが、ついには無数の矢を受けて薙刀を杖にして仁王立ちのまま息絶えたと伝えられている。ここから命を投げ出して主君を護っていた忠義の臣を表す。弁慶の泣き所弁慶ほどの豪傑でもここを打てば涙を流すほど痛いとされる急所のこと。最もよく知られているのが脛(膝頭の下から足首の上まで)で、皮膚のすぐ下、骨(脛骨)のすぐ上を神経が通っ...