
10月01日


アントニオ猪木(アントニオいのき)
プロレスラー、実業家、政治家。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。菩提寺は曹洞宗大本山の總持寺。生誕 1943年(昭和18年)2月20日命日 2022年(令和4年)10月1日戒名 闘覚院機魂寛道居士(とうがくいんきこんかんどうこじ)<< 戻る

10月1日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 10月7日二七日忌 10月14日三七日忌 10月21日四七日忌 10月28日五七日忌・35日法要 11月4日六七日忌 11月11日七七日忌・満中陰・四十九日法要 11月18日百箇日忌 1月8日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

海老一染之助(えびいちそめのすけ)
太神楽師(だいかぐらし)。海老一染之助・染太郎(えびいち そめのすけ・そめたろう)という、実の兄弟による伝統演芸コンビの弟。メインの曲芸担当。父親は落語家の三遊亭圓駒。かつては落語協会に所属していた。「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬を回す芸が有名で、正月のテレビ番組には欠かせない出演者だった生誕 1934年10月1日命日 2017年12月6日至藝染朗信士(東京都中野区の東光寺)<< 戻る

大谷光暢(おおたにこうちょう)
明治時代から昭和時代にかけての浄土真宗の僧。法名は「闡如」(せんにょ)。東本願寺第二十四代法主。(のちに門首。)真宗大谷派管長。伯爵。欧米、ブラジルを視察するなど、宗教布教に尽力。生誕 1903年10月1日命日 1993年4月13日<< 戻る

服部良一(はっとりりょういち)
作曲家、編曲家。また作詞家として村雨 まさを(むらさめ まさお)の名がある。大阪府大阪市東住吉区(現・平野区)出身。天王寺区出生。国民栄誉賞受賞者。代表作としては『おしゃれ娘』『別れのブルース』『雨のブルース』『蘇州夜曲』『湖畔の宿』『山寺の和尚さん』『青い山脈』など多数。生誕 1907年10月1日命日 1993年1月30日<< 戻る

木食応其(もくじきおうご)
安土桃山時代の真言宗の僧で、出家前は六角氏に仕える武将、出家後は外交僧・勧進僧・連歌学者として活動した。法名を応其、字を順良、房号を深覚と云い、深覚坊応其と称す。木食は木食行を修めた者への称で、木食応其は通称。天正元年(1573年)に38歳で高野山において出家し、宝性院の勢誉から受戒、名を応其と改めた。小瀬甫庵の『信長記』では出家は25~6歳の頃であるとしている。また高野山入山のおり、十穀を絶つ木食行を行うことを発願している。応其は「客僧」という立場であり、学侶や行人、高野聖とも異なる存在であった。また密教大辞典では天下人から厚遇を受けた政遍からも戒を受け、仁和寺宮仁助法親王より三部の大法を受...

小西行長(こにしゆきなが)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。肥後宇土城主。アウグスティヌスの洗礼名を持つキリシタン大名でもある。 当初は宇喜多氏に仕え、後に豊臣秀吉の家臣となる。文禄・慶長の役では女婿・宗義智らと共に主要な働きをし、序盤の漢城府占領の際には加藤清正と先陣の功を争った。関ヶ原の戦いでは西軍の将として奮戦したが、敗北して捕縛された。自殺を禁じられたキリシタンであったので、切腹を拒否して斬首された。生誕 永禄元年(1558年)命日 慶長5年10月1日(1600年11月6日)<< 戻る

石田三成(いしだみつなり)
安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。 豊臣政権の奉行として活動し、五奉行の内の一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名と共に西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。生誕 永禄3年(1560年)命日 慶長5年10月1日(1600年11月6日)江東院正軸因公大禅定門<< 戻る

陶晴賢/陶隆房(すえはるかた/たかふさ)
戦国時代の武将。大内氏の家臣。 晴賢と名乗ったのは、天文20年に主君・大内義隆を討ち大友晴英を当主に据えてから厳島の戦い前に出家するまでの数年間だけであり、それまでは初名の隆房を名乗っていた。「西国無双の侍大将」と呼ばれる一方で厳島の戦いに際し、弘中隆包の「元就の狙いは大内軍を狭い厳島に誘き寄せて殲滅しようとするものだ」という進言を入れずに出陣し大敗するなど、器量に乏しい面も覗かせる。生誕 大永元年(1521年)命日 天文24年10月1日(1555年10月16日)卓鍼軒呂翁全羨<< 戻る