09月25日

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9月の出来事/有名人の誕生日・命日

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9月25日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 10月1日二七日忌 10月8日三七日忌 10月15日四七日忌 10月22日五七日忌・35日法要 10月29日六七日忌 11月5日七七日忌・満中陰・四十九日法要 11月12日百箇日忌 1月2日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
人物

夢路いとし(ゆめじいとし)

漫才師、俳優。実弟の喜味こいしと共に漫才コンビ夢路いとし・喜味こいし(いとし・こいし)」のボケとして活躍した。ネタの一つである「お笑い鍋料理」にはいくつかのバリエーションがあるが、鍋の具についてこいしが説明するところで、いとしがボケるくだりがある。「生きてるうちがニワトリ、死んだら戒名がかしわ」「生きてるあいだは、いのしし。死んだら戒名が、ぼたん」「生きている間は牛、死んだら戒名が牛肉」生誕 1925年3月27日命日 2003年9月25日<< 戻る
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五代友厚(ごだいともあつ)

江戸時代末期から明治時代中期にかけての日本の武士、実業家。薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷生まれ。大阪経済界の重鎮の一人。大阪市の本邸跡は大阪科学技術館・日本銀行大阪支店になっている。当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」のあった大阪経済を立て直すために、商工業の組織化、信用秩序の再構築を図った。生誕 天保6年12月26日(1836年2月12日)命日 明治18年(1885年)9月25日<< 戻る
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土佐光起(とさみつおき)

江戸時代の土佐派を代表する絵師。和泉国堺出身。父は土佐光則。本姓は藤原、幼名は藤満丸。住吉如慶は父の門人。子は土佐光成、土佐光親。大和絵の主流だった土佐派にあきたらず、ライバルの狩野派や宋元画を学び、従来の温雅なやまと絵に克明な写生描法を取り入れ、江戸時代の土佐派様式を確立した。特に南宋の院体画家李安忠の「鶉図」(国宝。現在は根津美術館蔵)を父譲りの細密描法を用いてしばしば描き、後の土佐派の絵師たちに描き継がれている。江戸中期の国学者、有職故実家である橋本経亮は著書『梅窓筆記』(享和元年(1801年))で、光起の鶉の絵に猫が飛びかかったという伝承を記している。また画題の面でも、風俗画や草木図な...
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慈円(じえん)

平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧侶。歴史書『愚管抄』を記したことで知られます。諡号は慈鎮和尚、通称に吉水僧正、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円と紹介されています。 父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀、摂政関白・九条兼実は同母兄にあたります。幼くして青蓮院に入寺し、仁安2年(1167年)天台座主・明雲について受戒します。治承2年(1178年)に法性寺座主に任ぜられ、養和2年(1182年)に覚快法親王の没後、空席になった青蓮院を継ぎました。建久3年(1192年)、38歳で天台座主になります。その後、慈円の天台座主就任は4度に及びました。吉田兼好の『徒然草』には、「一芸ある者なら...