09月24日

便り

9月の出来事/有名人の誕生日・命日

人物

KAN(かん)

KAN一はシンガーソングライター。本名は木村和(きむらかん)。1990年(平成2年)夏、5thアルバム『野球選手が夢だった。』の収録曲「愛は勝つ」が、1991年に大ヒットを遂げる。シングルは200万枚を超えるセールスとなり、オリコンチャートイン52週のロングヒットを記録するなど、90年代を代表する曲となった。同年末の第33回日本レコード大賞(ポップス・ロック部門大賞)を受賞。また、第42回NHK紅白歌合戦にも出場。モーツァルト没後200周年の年であったこともあり、モーツァルトを連想させるかつら&扮装で熱唱)。生誕 1962年〈昭和37年〉9月24日命日 2023年〈令和5年〉11月12日<< ...
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9月24日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 9月30日二七日忌 10月7日三七日忌 10月14日四七日忌 10月21日五七日忌・35日法要 10月28日六七日忌 11月4日七七日忌・満中陰・四十九日法要 11月11日百箇日忌 1月1日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
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川島なお美(かわしまなおみ)

女優、タレント、歌手。戸籍名は、鎧塚なお美。二人姉妹の長女。愛知県守山市出身。最終所属は太田プロダクション。夫はパティシエの鎧塚俊彦。バラエティ番組『お笑いマンガ道場』テレビドラマ『家なき子 2』(1994年のテレビドラマ)『失楽園』生誕 1960年11月10日命日 2015年9月24日秋想院彩優美俊大姉<< 戻る
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桜塚やっくん(さくらづかやっくん)

タレント、声優、俳優、歌手。神奈川県横浜市鶴見区出身。以前はジャニーズ事務所に所属しており、本名の斎藤恭央で活動していた。 日本大学高等学校、日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。トップコートを退所後、個人事務所を設立。日本女装協会会長を務めた。生誕 1976年9月24日命日 2013年10月5日禅徳院恭覺智聡居士<< 戻る
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丹波哲郎(たんばてつろう)

俳優・芸能プロモーター・心霊研究家。東京府豊多摩郡大久保町出身。俳優活動は50年以上で出演した映画は外国映画10本を含んだ300本以上に及ぶ名優。テレビドラマでも活躍し、映画製作にも携わった。オールスターの超大作に相応しい映画では常連の一人として、権力者など上層部の人物役で特別出演もした。丹波プロダクション・俳優養成所「丹波道場」を設立して後進の育成も手がけており、宮内洋は丹波の一番弟子である。心霊学と霊界の研究もし、多数の書籍を著しており、『丹波哲郎の大霊界』はベストセラーとなった。生誕 1922年7月17日命日 2006年9月24日<< 戻る
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村田新八(むらたしんぱち)

武士(薩摩藩士)・政治家。明治10年以降、賊軍の将として遇されたが、大正5年(1916年)4月11日に正五位を追贈されて名誉回復した。生誕 天保7年11月3日(1836年12月10日)命日 明治10年(1877年)9月24日<< 戻る
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西郷隆盛(さいごうたかもり)

武士(薩摩藩士)・軍人・政治家。薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門・大島吉之助などの変名も名乗った。藩主の島津斉彬の目にとまり抜擢され、当代一の開明派大名であった斉彬の身近にあって、強い影響を受けた。斉彬の急死で失脚し、奄美大島に流される...
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石田梅岩(いしだばいがん)

江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。諱は興長。通称、勘平。丹波国生まれ。小栗了雲門下。在野(民間研究者)上がりの学者である石田を無学で文字に疎いと批判した者に対し、「文字がなかった昔に、忠孝はなく、聖人はいなかったとでもいうのか。聖人の学問は行いを本とし、文字は枝葉なることを知るべし」といい、自ら徳に至る道を実行せず、ただ文字の瑣末にのみ拘泥しているのは「文字芸者という者なり」と痛烈に反論した。生誕 貞享2年9月15日(1685年10月12日)命日 延享元年9月24日(1744年10月29日)<< 戻る
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朝倉義景(あさくらよしかげ)

戦国時代の武将。越前国の戦国大名。越前朝倉氏第11代の当主。天文17年(1548年)3月、父の孝景が死去したため、16歳で家督を相続して第11代当主となり、延景と名乗る。9月9日には京都に対して代替わりの挨拶を行っている(『御湯殿上日記』)。生誕 天文2年9月24日(1533年10月12日)命日 天正元年8月20日(1573年9月16日)松雲院殿太球宗光大居士<< 戻る