09月02日

便り

9月の出来事/有名人の誕生日・命日

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9月2日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 9月8日二七日忌 9月15日三七日忌 9月22日四七日忌 9月29日五七日忌・35日法要 10月6日六七日忌 10月13日七七日忌・満中陰・四十九日法要 10月20日百箇日忌 12月10日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
人物

岡倉天心(おかくらてんしん)

思想家、文人。本名は岡倉覚三。幼名は岡倉角蔵。横浜(神奈川県)生まれ。フェノロサと共に文化財保護の礎をつくり東京美術学校(現在の東京藝術大学)の創設に尽力。日本画の革新と美術学校の校長を務め、文化行政に携わり、思想家として著作を執筆し、ボストン美術館でキューレターとして活動した。それだけではなく、南画家に師事し、琴を学び、漢詩を残し、余暇には釣りを楽しみ、オペラの台本までも著していた。1862年横浜本町5丁目に生まれる。父岡倉覚右衛門。1873年東京日本橋に一家で移り、同年東京外国語学校に入学。1876年奥原晴湖に入門。1879年18歳でもとと結婚。1880年東京大学を卒業。同年、文部省に就職...
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伊藤博文(いとうひろぶみ)

武士、政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。諱は博文。幼名は利助、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、俊輔とし、さらに春輔と改名した。号は春畝で、春畝公と表記されることも多い。また小田原の別邸・滄浪閣を所持していたことから滄浪閣主人を称して落款としても用いた。周防国出身。長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。内閣総理大臣(初・第5・7・10代)及び初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監、元老を歴任した。内政では、立憲政友会を...
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松平春嶽(まつだいらしゅんがく)- 慶永(よしなが)

幕末から明治初期にかけての大名、政治家。越前国福井藩16代藩主。春嶽は号で、諱は慶永である。他に礫川、鴎渚などの号を用いたが、生涯通して春嶽の号を最も愛用した。田安徳川家3代当主・徳川斉匡の八男。松平斉善の養子。将軍・徳川家慶の従弟。英邁な藩主で、幕末四賢侯の一人と謳われていた。生誕 文政11年9月2日(1828年10月10日)命日 明治23年(1890年)6月2日諦観院廓誉超勝常然大居士<< 戻る
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和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)

仁孝天皇の第8皇女。江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室。家茂死後には落飾し、静寛院の院号宣下を受け、静寛院宮と名乗った。 「和宮」は誕生時に賜わった幼名で、「親子」は文久元年の内親王宣下に際して賜わった諱である。孝明天皇の異母妹。明治天皇の叔母にあたる。品位は二品、薨後贈一品。生誕 1846年7月3日〈弘化3年閏5月10日〉命日 1877年〈明治10年〉9月2日<< 戻る
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吉良義央(きら よしひさ/よしなか)- 吉良上野介義央

江戸時代前期の高家旗本。赤穂事件で浅野長矩により刃傷を受け、隠居後は赤穂浪士により邸内にいた小林央通、鳥居正次、清水義久らと共に討たれた。同事件に題材をとった創作作品『忠臣蔵』では敵役として描かれる場合が多い。幼名は三郎、通称は左近。従四位上・左近衛権少将、上野介。一般的には吉良上野介と呼ばれる。生誕 寛永18年9月2日(1641年10月5日)命日 元禄15年12月15日(1703年1月31日)霊性寺殿実山相公大居士<< 戻る