
08月11日


8月11日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 8月17日二七日忌 8月24日三七日忌 8月31日四七日忌 9月7日五七日忌・35日法要 9月14日六七日忌 9月21日七七日忌・満中陰・四十九日法要 9月28日百箇日忌 11月18日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

吉川英治(よしかわえいじ)
小説家。現在の神奈川県横浜市中区出身。 様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。生誕 1892年〈明治25年〉8月11日命日 1962年〈昭和37年〉9月7日崇文院殿釈仁英大居士<< 戻る

浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)
播磨国赤穂藩3代藩主。官位は従五位下、内匠頭。官名から浅野内匠頭と呼称されることが多い。江戸城本丸大廊下にての刃傷とそれに続く赤穂事件で広く知られる。生誕 寛文7年8月11日(1667年9月28日)命日 元禄14年3月14日(1701年4月21日)冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄利大居士<< 戻る

南嶽懐譲(なんがくえじょう)
中国唐の時代の禅僧。金州安康県の出身。中国禅宗の七祖(南宗)。大鑑慧能に就いて嗣法。弟子には馬祖道一がいる。諡は大慧禅師。南嶽衡山般若寺。大恵禅師は数人いるので出典等で要確認。・「南嶽大慧禅師懐譲和尚、そのかみ曹渓に参じて、執侍すること十五秋なり。しかうして伝道授業すること、一器水瀉一器(一器の水を一器に写す)なることをえたり。古先の行履、もとも慕古すべし。十五秋の風霜、我をわづらはすおほかるべし。しかあれども純一に究弁す、これ晩進の亀鏡なり。寒爐に炭なく、ひとり虚堂にふせり、涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する、たとひ一知半解なくとも、無為の絶学なり。これ行持なるべし。」(「正法眼蔵」行持・上)...