
07月16日


7月16日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 7月22日二七日忌 7月29日三七日忌 8月5日四七日忌 8月12日五七日忌・35日法要 8月19日六七日忌 8月26日七七日忌・満中陰・四十九日法要 9月2日百箇日忌 10月23日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

井植歳男(いうえとしお)
実業家。三洋電機株式会社の創業者。松下電気器具製作所(松下電器産業を経て、現・パナソニック)の創業メンバーで、元専務取締役。生誕 1902年12月28日命日 1969年7月16日<< 戻る

板垣退助(いたがきたいすけ)
武士、勤皇志士。軍人・政治家。自由民権運動の主導者。従一位勲一等伯爵。明治維新の元勲。「憲政の父・国会を創った男」として知られる。明治15年(1882年)4月6日、岐阜で遊説中に暴漢・相原尚褧に襲われ負傷した(岐阜事件)。その際、板垣は襲われたあとに竹内綱に抱きかかえられつつ起き上がり、出血しながら「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言い、これがやがて「板垣死すとも自由は死せず」という表現で広く伝わることになった。生誕 天保8年4月17日(1837年5月21日)命日 大正8年(1919年)7月16日<< 戻る

島津斉彬(しまづなりあきら)
江戸時代後期から幕末の大名で、薩摩藩11代藩主。島津氏28代当主。今和泉島津家出身で斉彬の養女・天璋院は江戸幕府13代将軍・ 徳川家定の正室。 薩摩藩による富国強兵や殖産興業に着手し国政改革にも貢献した幕末の名君である。西郷隆盛ら幕末に活躍する人材も育てた。生誕 文化6年3月14日(1809年9月28日)命日 安政5年7月16日(1858年8月24日)順聖院殿英徳良雄大居士<< 戻る

高遊外(こうゆうがい)- 売茶翁(ばいさおう)
江戸時代の黄檗宗の僧。煎茶の中興の祖。本名は柴山元昭、幼名は菊泉。法名は月海で、還俗後は高遊外とも称した。佐賀蓮池支藩の藩医の三男として誕生。11歳で龍津寺に出家し僧名は月海。22歳で修行不足を恥じ江戸、仙台等各地へ出かけた。煎茶は長崎の中国僧から習ったとの説もある。また、隠元禅師が京都宇治に開いた、黄檗山(おうばくさん)萬福寺でも修業、中国伝来の文化に触れ、視野を広げた。晩年、龍津寺を弟弟子に託し再上洛。洛中に「通仙亭」という庵を構え、茶を売りながら禅や人の生き方を説いた。その姿に人々は親しみを込めて「売茶翁」と呼んだ。通仙亭には文人墨客が集まり「売茶翁に一服接待されなければ一流の文人とは言...

佐竹義宣(さたけよしのぶ)
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。出羽国久保田藩(秋田藩)初代藩主。佐竹義重の長男。母は伊達晴宗の娘。伊達政宗は母方の従兄にあたる。官位は従四位上・左近衛中将、右京大夫。佐竹氏19代当主。生誕 元亀元年7月16日(1570年8月17日)命日 寛永10年1月25日(1633年3月5日)浄光院殿傑堂天英大居士<< 戻る

忍性(にんしょう)
鎌倉時代の律宗(真言律宗)の僧侶。 房名(通称)は良観。良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう)とも呼ばれます。 貧民やハンセン病患者など社会的弱者の救済に尽力したことで知られます。建保5年(1217)に大和国城下郡屏風里(現在の奈良県磯城郡三宅町)で生まれました。早くに亡くした母の願いをうけて僧侶となり、西大寺の叡尊(えいそん)を師として、真言密教や戒律受持の教えを授かり、貧者や病人の救済にも身命を惜しまぬ努力をしました。特にハンセン病患者を毎日背負って町に通ったという話(『元亨釈書』等)には、慈悲深く意志の強い忍性の人柄がうかがえます。後半生は活動の拠点を鎌倉に移し、より大規模に戒律復興と社...