
06月22日


6月22日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 6月28日二七日忌 7月5日三七日忌 7月12日四七日忌 7月19日五七日忌・35日法要 7月26日六七日忌 8月2日七七日忌・満中陰・四十九日法要 8月9日百箇日忌 9月29日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

たま(猫、和歌山電鐵貴志駅長)
たま駅長とも呼ばれるたまは、平成時代の日本にいた飼い猫の一個体。 貴志駅の売店で飼われるうちに招き猫的位置づけのアイドルとなった雌の三毛猫で、やがて正式な「駅長」という肩書きを持つ貴志駅のマスコットになり、世界的に知られるまでになった。今では同駅の名誉永久駅長となっている。2007年(平成19年)1月5日に和歌山電鐵から正式に駅長に任命されたことで話題を呼んだ。その主な業務は「客招き」であり、貴志駅の集客のみならず、日本に平成の猫ブーム「ネコノミクス」を招来したとされる。任期はなく終身雇用であり、報酬は年俸としてのキャットフード1年分であった。乗客数の増加・観光へのアピールへの功績から、同社か...

高田好胤(たかだこういん)
高田好胤とは、法相宗の僧侶。薬師寺元管主。法相宗管長。分かりやすい法話により「話の面白いお坊さん」、「究極の語りのエンタテイナー」とも呼ばれ、そこから百万巻写経勧進の道を切り開き、失われていた薬師寺金堂の復興を発願し、金堂、西塔など薬師寺の伽藍の復興に道筋をつけるなど、薬師寺の再生に生涯をささげました。1500年の日本の仏教史上、百万巻もの写経勧進の導師を務めた僧は他にはいないとされ、高田好胤が唱えた写経の輪はその後、大きなうねりとなって全国に広がっています。生誕 1924年(大正13年)3月30日命日 1998年(平成10年)6月22日<< 戻る

山本周五郎(やまもとしゅうごろう)
小説家。デビュー作『須磨寺附近』(1926年)、代表作は『樅ノ木は残った』(1954-58年)、『赤ひげ診療譚』(1958年)、『青べか物語』(1960年)、『季節のない街』(1962年)、『さぶ』(1963年)、『ながい坂』(1964-66年)など多数。生誕 1903年(明治36年)6月22日命日 1967年(昭和42年)2月14日恵光院周嶽文窓居士<< 戻る

徳本行者(とくほんぎょうじゃ)
江戸時代後期の浄土宗の僧侶。俗姓は田伏氏。号は名蓮社号誉。紀伊国日高郡の出身。徳本上人とも呼ばれた。27歳のとき出家し、木食行を行った。各地を巡り昼夜不断の念仏や苦行を行い、念仏聖として知られていた。大戒を受戒しようと善導に願い梵網戒経を得、修道の徳により独学で念仏の奥義を悟ったといわれている。文化11年(1814年)、江戸増上寺典海の要請により江戸小石川伝通院の一行院に住した。一行院では庶民に十念を授けるなど教化につとめたが、特に大奥女中で帰依する者が多かったという。江戸近郊の農村を中心に念仏講を組織し、その範囲は関東・北陸・近畿まで及んだ。「流行神」と称されるほどに熱狂的に支持され、諸大名...