
05月23日


5月23日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 5月29日二七日忌 6月5日三七日忌 6月12日四七日忌 6月19日五七日忌・35日法要 6月26日六七日忌 7月3日七七日忌・満中陰・四十九日法要 7月10日百箇日忌 8月30日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

相澤秀禎(あいざわひでよ)
日本の実業家、芸能プロモーター。サンミュージックプロダクションの創業者で初代社長。本名は相澤芳郎(與四郎とも記されている)。自伝によれば姓名判断で上記の通称に改めたという。神奈川県横須賀市出身。実家は金物商を営んだ。1968年(昭和43年)11月27日、資本金百万円で「サンミュージック」を設立、タレント第1号は森田健作だった。ほかに水前寺清子の個人マネージャーもつとめていた。野村将希・桜田淳子・太川陽介・松田聖子・香坂みゆき・早見優・岡田有希子・酒井法子・安達祐実といったタレントをスカウト・育成し、デビューさせ、女性アイドルと言えばサンミュージックという評価を確立。1980年代半ばには有力プロ...

石川丈山(いしかわじょうざん)
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。もとは武士で大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、煎茶の祖ともいわれる。名は初め重之、後に凹、通称は初め三彌、後に嘉右衛門、字は丈山、号は六六山人、四明山人、凹凸窠、詩仙堂、大拙、烏麟、山木、山村、藪里、東渓、三足など。生誕 天正11年(1583年)命日 寛文12年5月23日(1672年6月18日)至楽院殿白雪窻大居士<< 戻る

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。父は左京大夫・坂上苅田麻呂。官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度に渡り征夷大将軍を勤めて蝦夷征討に功績を残した。薬子の変では大納言へと昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後は嵯峨天皇の勅命により平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、「王城鎮護」「平安京の守護神」「将軍家の祖神」と称えられて武神や軍神として信仰の対象となる。現在は武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの田村語り並びに坂上田村麻呂伝説が創出された...