
04月11日


小林秀雄(こばやしひでお)
文芸評論家、編集者、作家。1929(昭和4)年、「様々なる意匠」が「改造」誌の懸賞評論二席入選。戦中は「無常という事」以 下、古典に関する随想を手がけ、終戦の翌年「モオツァルト」を発表。生誕 1902年(明治35年)4月11日命日 1983年(昭和58年)3月1日華厳院評林文秀居士<< 戻る

4月11日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 4月17日二七日忌 4月24日三七日忌 5月1日四七日忌 5月8日五七日忌・35日法要 5月15日六七日忌 5月22日七七日忌・満中陰・四十九日法要 5月29日百箇日忌 7月19日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

佐野実(さのみのる)
料理人・実業家で、ラーメン店「支那そばや」創業者。神奈川県横浜市戸塚区出身。メディアに多数出演し、「ラーメンの鬼」の異名で知られた。生誕 1951年4月4日命日 2014年4月11日玉香院清澄実道居士<< 戻る

井深大(いぶかまさる)
電子技術者および実業家。盛田昭夫と共にソニーの創業者の一人。生誕 1908年(明治41年)4月11日命日 1997年(平成9年)12月19日<< 戻る

西岡常一(にしおかつねかず)
飛鳥時代の優れた木造建築技術を現代に伝える宮大工。数百年に一度という法隆寺の全伽藍解体大修理の棟梁を務め、奈良の名刹・薬師寺の金堂および西塔を1300年前の様式で再建させた。「宮大工は1000年先を見据えた仕事をしなければならぬ」など代々法隆寺大工棟梁に伝えられてきた口伝の数々を語る。生誕 1908年(明治41年)9月4日命日 1995年(平成7年)4月11日光棟院常念大居士<< 戻る

正力松太郎(しょうりきまつたろう)
内務官僚、警察官、実業家、政治家。 読売新聞社社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、読売テレビ会長、日本武道館会長等を歴任。また、読売ジャイアンツ創立者であり初代オーナー。 位階勲等は従二位勲一等。富山県高岡市の名誉市民であり、京成電鉄OBでもある。読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。日本におけるそれぞれの導入を強力に推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる。1885年(明治18年)4月11日、富山県射水郡枇杷首村(後の大門町、射水市)に土建請負業を営む父・正力庄次郎、母・きよの次男として生ま...

金子みすゞ(かねこみすず)
大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴り、そのうち100あまりの詩が雑誌に掲載されたとされる。代表作『私と小鳥と鈴と』『大漁』など多数。生誕 1903年(明治36年)4月11日命日 1930年(昭和5年)3月10日<< 戻る

永倉新八(ながくらしんぱち)
幕末の武士(松前藩士、新選組隊士)。本姓は長倉、諱は載之(のりゆき)。幼名は栄吉、栄治。 松前藩を脱藩後、新選組に入隊し、二番隊組長及び撃剣師範を務めた。明治期に杉村義衛と改名し、樺戸集治監の撃剣師範を務めた。生誕 天保10年4月11日(1839年5月23日)命日 大正4年(1915年)1月5日釈義潤憲徳院義衛良行居士<< 戻る

今井宗薫(いまいそうくん)
安土桃山時代・江戸時代の人物。茶人今井宗久の子。本名は兼久。官名を帯刀左衛門、号は別に単丁斎とした。父・宗久に茶湯を学び豊臣秀吉の茶頭・お伽衆となる。のちに徳川家康・秀忠・家光と三代の将軍に仕え、茶頭をつとめた。生誕 天文21年(1552年)命日 寛永4年4月11日(1627年5月25日)<< 戻る