(生誕)04月17日

人物

板垣退助(いたがきたいすけ)

武士、勤皇志士。軍人・政治家。自由民権運動の主導者。従一位勲一等伯爵。明治維新の元勲。「憲政の父・国会を創った男」として知られる。明治15年(1882年)4月6日、岐阜で遊説中に暴漢・相原尚褧に襲われ負傷した(岐阜事件)。その際、板垣は襲われたあとに竹内綱に抱きかかえられつつ起き上がり、出血しながら「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言い、これがやがて「板垣死すとも自由は死せず」という表現で広く伝わることになった。生誕 天保8年4月17日(1837年5月21日)命日 大正8年(1919年)7月16日<< 戻る
人物

大内青巒(おおうちせいらん)

明治期から大正期における仏教学者・思想家。父は仙台藩士大内権右衛門。名は退。字は巻之。別号を藹々居士。陸奥国仙台出身。はじめ宮城郡東宮浜(現在の七ヶ浜町)、後に常陸国水戸の寺院で出家して泥牛と号し、その後江戸へ出て仏教の研究を志した。明治維新後は、大洲鉄然の推挙により浄土真宗本願寺派本山本願寺(西本願寺)第21世宗主大谷光尊の侍講をつとめた。1874年(明治7年)雑誌『報四叢談』、1875年(明治8年)新聞『明教新報』を発刊し、仏教における啓蒙思想家として活動した。1889年(明治22年)島地黙雷・井上円了らと共に天皇崇拝を中心とする仏教政治運動団体「尊皇奉仏大同団」を結成した。曹洞宗の『修証...