(命日)07月30日

人物

谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)

小説家。『刺青』(1910年)、『痴人の愛』(1924年-1925年)、『卍(まんじ)』(1928年-1930年)、『蓼喰ふ虫』(1928年-1929年)『春琴抄』(1933年)、『陰翳禮讚』(随筆、1933年-1934年)、『細雪』(1944年-1948年)、『少将滋幹の母』(1949年-1950年)、『鍵』(1956年)、『瘋癲老人日記』(1961年-1962年)生誕 1886年(明治19年)7月24日命日 1965年(昭和40年)7月30日安楽寿院功誉文林徳潤居士<< 戻る
人物

幸田露伴(こうだろはん)

小説家。本名は成行。別号に蝸牛庵、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸下谷生まれ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。生誕 1867年8月22日(慶応3年7月23日)命日 1947年(昭和22年)7月30日露伴居士<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

伊藤左千夫(いとうさちお)

伊藤左千夫は1864年に千葉県で生まれ、1913年7月30日に脳溢血が原因で死去しました。明治時代から大正時代にかけて活躍した歌人・小説家です。歌人としては正岡子規の実質的な後継者として歌集『左千夫歌集』など優れた短歌・歌論を発表し『アララギ』を主宰。小説家としては歌集『左千夫歌集』などを執筆しました。1902年9月19日、師である正岡子規が死去し、長男・次男と相次ぐ別れと重なったことも契機となり「新仏教」の同人となり、特に新鸞聖人の教えに傾倒しました。さびしさの極みに堪へて天地(あめつち)に寄する命をつくづくと思ふ『左千夫全集』より<< 戻る
人物

明治天皇(めいじてんのう)

第122代天皇。諱は睦仁、称号は祐宮。お印は永。 倒幕および攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれた。皇族以外の摂政を設置し、かつ在位中に征夷大将軍(徳川慶喜)がいた最後の天皇。「一世一元の制」を定め、複都制としながらも東京府に皇居を置いた。功績・人物像から明治大帝、明治聖帝、睦仁大帝とも呼ばれる。生誕 1852年11月3日〈嘉永5年9月22日〉命日 1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日<< 戻る