(命日)07月15日

人物

黒田清輝(くろだせいき)

洋画家、政治家。位階は従三位。勲等は勲二等。爵位は子爵。通称は新太郎。名の清輝は、本名は「きよてる」だが、画名は「せいき」と読む。 教え子からは「メートル」とフランス語で呼ばれた。 東京美術学校教授、帝国美術院院長、貴族院議員などを歴任した。生誕 1866年8月9日命日 1924年7月15日<< 戻る
人物

祐天(ゆうてん)

祐天とは、浄土宗大本山増上寺36世法主で、江戸時代を代表する呪術師。字は愚心。号は明蓮社顕誉。 密教僧でなかったにもかかわらず、強力な怨霊に襲われていた者達を救済、その怨霊までも念仏の力で成仏させたという伝説がある。祐天の除霊伝説は存命中に書かれた『死霊解脱物語聞集』など、大衆向けに書かれた出版物によって広まった。生誕 寛永14年4月8日(1637年5月31日)命日 享保3年7月15日(1718年8月11日)<< 戻る
人物

豊臣秀次(とよとみひでつぐ)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。豊臣氏の2代目関白。豊臣秀吉の姉である瑞竜院日秀の長男。 幼少時、戦国大名・浅井長政の家臣・宮部継潤が秀吉の調略に応じる際に人質となり、そのまま養子となって、初名は吉継、通称を次兵衛尉とし、宮部 吉継と名乗った。次いで畿内の有力勢力だった三好一族の三好康長(笑岩)の養嗣子となり、今度は名を信吉と改めて通称は孫七郎とし、三好 信吉(みよし のぶよし)と名乗って三好家の名跡を継いだ。秀吉が天下人の道を歩み始めると、羽柴姓に復氏して、名も秀次と改名。豊臣姓も下賜された。鶴松が没して世継ぎがいなくなったことから、改めて秀吉の養嗣子とされ、文禄の役の開始前に...