(命日)06月30日

人物

小倉昌男(おぐらまさお)

実業家、ヤマト福祉財団理事長。ヤマト運輸の『クロネコヤマトの宅急便』の生みの親である。東京都出身。1948年、父・小倉康臣が経営する大和運輸(現・ヤマトホールディングス)に入社。入社後半年で肺結核を患い4年間の入院生活を送るが、大和運輸がGHQ関連の輸送業務を担当していた為、日本国内ではほとんど入手困難だったストレプトマイシンを米軍ルートで入手できた事もあり、当時としては奇跡的に回復。退院後静岡県の子会社の再建を手がけたのち本社に復帰し、1961年に取締役となる。1971年、康臣の後を継いで代表取締役社長に就任した。1976年、オイルショック後に低迷していた大和運輸の業績回復のため、『宅急便』...