(命日)06月02日

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松平春嶽(まつだいらしゅんがく)- 慶永(よしなが)

幕末から明治初期にかけての大名、政治家。越前国福井藩16代藩主。春嶽は号で、諱は慶永である。他に礫川、鴎渚などの号を用いたが、生涯通して春嶽の号を最も愛用した。田安徳川家3代当主・徳川斉匡の八男。松平斉善の養子。将軍・徳川家慶の従弟。英邁な藩主で、幕末四賢侯の一人と謳われていた。生誕 文政11年9月2日(1828年10月10日)命日 明治23年(1890年)6月2日諦観院廓誉超勝常然大居士<< 戻る
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尾形光琳(おがたこうりん)

江戸時代の画家、工芸家。画風は大和絵風を基調にしつつ、晩年には水墨画の作品もある。大画面の屏風のほか、香包、扇面、団扇などの小品も手掛け、手描きの小袖、蒔絵などの作品もある。また、実弟の尾形乾山の作った陶器に光琳が絵付けをするなど、その制作活動は多岐にわたっている。生誕 万治元年(1658年)命日 享保元年6月2日(1716年7月20日)法橋緒形青々堂光琳<< 戻る
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海北友松(かいほうゆうしょう)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。姓は源氏、友松は字。近江の湖北地区に生まれる。名ははじめ「友徳」。「紹益」とも。「如切斎」「有景斎」などと号した。子に同じく絵師の海北友雪。建仁寺本坊大方丈障壁画 、琴棋書画図。生誕 天文2年(1533年)命日 慶長20年6月2日(1615年6月27日)<< 戻る
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織田信長(おだのぶなが)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。三英傑の一人。全国統一を推し進めた。尾張の清洲の城主で1560年に桶狭間の戦いで今川義元をやぶった後、急激に勢力を強めた。1568年、足利義昭を助けて京都に上り、義昭を室町幕府の将軍にした。1570年には姉川の戦いで、浅井・朝倉の連合軍をやぶり、浅井氏、朝倉氏を滅ぼした。1573年に室町幕府第15代将軍の義昭を追放し、約240年続いた室町幕府を滅亡に追い込んだ。1575年、長篠の戦いで武田勝頼をやぶり、翌年、近江に安土城を築いて全国統一のための本拠地とした。しかし、全国統一まであと一息のところで、1582年中国地方の毛利氏を攻略する途中、本能寺...
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森蘭丸(もりらんまる/成利/なりとし)

安土桃山時代の武将。織田信長の近習。俗称は蘭丸。本能寺の変で主君と2人の弟と共に討死した。名前については異説が多く、幼名を乱(らん)とするものや、諱を長定(ながさだ)や長康(ながやす)とするものなど。生誕 永禄8年(1565年)命日 天正10年6月2日(1582年6月21日)月江宗春居士瑞桂院殿鳳山智賢居士正翁定是禅定門<< 戻る
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織田信忠(おだのぶただ)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。織田信長から生前に家督を譲られ、後継者と認められた。織田家当主二代目となる。武田氏を滅亡させた直後に本能寺の変で父・信長は本能寺、信忠は新二条御所にて自刃した。岐阜城主。生誕 弘治3年(1557年)命日 天正10年6月2日(1582年6月21日)大雲院三品羽林仙巖大禅定門<< 戻る