(命日)03月16日

人物

吉本隆明(よしもとたかあき)

詩人、評論家。藤田省三に師事した。「隆明」を音読みして「りゅうめい」と読まれることも多い。漫画家のハルノ宵子は長女。作家のよしもとばななは次女。 東京工業大学電気化学科卒業。学位は学士。東京工業大学世界文明センター特任教授。生誕 1924年(大正13年)11月25日命日 2012年(平成24年)3月16日釋光隆<< 戻る
人物

浅田宗伯(あさだそうはく)

漢方医、儒学者。諱は惟常、号は栗園。安政2年(1855年)幕府のお目見得医師となり、安政5年(1858年)将軍家茂に謁して徴士となり、慶応2年(1866年)13代将軍家定の夫人天璋院はじめ大奥の侍医となり、法眼に叙せられた。医師として宗伯は、フランス公使レオン・ロッシュや嘉仁親王(後の大正天皇)の難症を治し救った事で知られている。 浅田飴より販売されている「浅田飴」のルーツとなる処方を考案した人物である。尚、創業者である堀内伊太郎の父は、宗伯の書生であった。生誕 文化12年5月22日(1815年6月29日)命日 明治27年(1894年)3月16日<< 戻る
人物

慧可(えか)

洛陽虎牢出身。幼名は神光。中国禅宗の二祖。正宗普覚大師。菩提達磨大師に就いて嗣法。弟子には鑑智僧璨、僧那がいる。はじめは儒教や老荘思想を学んだが得心せず、洛陽香山(現在の龍門山)の永穆寺で得度した。出家後は問法のため各地を放浪し、さらに香山に戻り8年間修行を続けたものの、疑念を解明することが出来ず、嵩山の少林寺で面壁していた達磨に面会し弟子入りを請うた。達磨は断ったが慧可はあきらめず、自らの腕を切り落として弟子入りの願いが俗情や世知によるものではない事を示し、入門を許されたと伝えられている(雪中断臂)。・「大師釈尊、霊山会上にして法を迦葉につけ、祖々正伝して、菩提達磨尊者にいたる。尊者、みづか...