黄檗宗

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大龍寺-愛知県名古屋市千種区

・大龍寺 黄檗宗 愛知県名古屋市千種区城山新町2-71<< 戻る
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正法寺-岐阜県岐阜市

・正法寺 黄檗宗 岐阜県岐阜市大仏町8金鳳山正法寺は、京都宇治黄檗山万福寺の末寺である。第十一代惟中和尚は、歴代の大地震および大飢饉の災霊の祈願をたて、奈良東大寺大仏の聖徳を敬って、ここに大釈迦如来像の建立をはかりました。(リンク先より) << 戻る
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正明寺-滋賀県蒲生郡

・正明寺 黄檗宗 滋賀県蒲生郡日野町松尾560正明寺は聖徳太子の創建と伝えられており、その昔比叡山延暦寺系の地方大寺として栄えていましたが戦国時代の戦火を受けて消失しました。江戸時代に入り再興された時は、永源寺の高僧一絲文守大和尚の尽力によって後水尾上皇の勅建寺となり、黄檗禅の中本山としての寺格を備え、数多くの名僧をこのお寺から輩出しました。(リンク先より) << 戻る
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済福寺-滋賀県彦根市

・済福寺 黄檗宗 滋賀県彦根市芹川町919四代目藩主直興公のご寄進により城南の守護寺として建立宗祖隠元禅師(※一)のお弟子にあたります大虚道清和尚(※二)を開山に仰ぎ、慧真によって開基されました。大坂城落城当時、二十有余万人の戦没者供養の為に、彦根藩四代目藩主 井伊 直興公のご寄進により、中山道に面するここ、城南の守護に造られましたのが、当済福寺の起源とも伝えられています。※一 宗祖隠元禅師・・・江戸時代千六百五十四年に来日※二 大虚道清和尚・・・彦根藩家老広瀬郷右衛門の子として生を享け、十歳で出家され、黄檗二代木庵禅師に仕えた(リンク先より) << 戻る
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円城寺-佐賀県佐賀市

・円城寺 黄檗宗 佐賀県佐賀市諸富町大字為重1292円城寺は記録等がほとんど残っておらず、詳らかではありませんが、旧肥前鹿島藩主、鍋島直杉家より出家し桂巌老和尚の弟子となり、崇勝院寂恵宲湛大師と号した三百年前、当寺を建立したのを開基として伝えられています。千七百年代には、隠元禅師の弟子たちにより次々に黄檗の寺院が建立されています。特に佐賀は、当時八十五ヶ寺の黄檗寺院があったと記録が残っています。円城寺もその一つで、決して大寺ではなく小さな庵として建立されたのでしょう。(リンク先より) << 戻る
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千眼寺-福岡県福岡市早良区

・千眼寺 黄檗宗 福岡県福岡市早良区百道1-3-6福岡県福岡市早良区百道に位置する大悲山千眼寺は、曽て元寇の古戦場であった百道松原の一角に、 時の黒田藩主、黒田綱政、尾張徳川光友公などの発願によって建立された福岡では唯一の中国福建省 福清県にある黄檗山萬福寺を始めとする中国の伝統禅の流れに属する黄檗宗の禅寺であります。(リンク先より) << 戻る
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王龍寺-奈良県奈良市

・王龍寺 黄檗宗 奈良県奈良市二名6-1492王龍寺は、伝説によれば、古く聖武天皇の勅願による古刹とされております。現在の黄檗宗の寺院として体裁が整えられたのは、江戸時代になってからのことです。大和郡山の城主であった本多忠平公によって、元禄二年に堂宇が整えられました。現在の本堂は、その当時のものを残しております。(リンク先より) << 戻る
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千光寺-京都府京都市西京区

・千光寺 単立 京都府京都市西京区嵐山中尾下町62大悲閣千光寺は、京都の西、嵐山にかかる渡月橋から約1kmあまり上流へ行った所にあり、江戸時代の豪商、角倉了以(すみのくらりょうい)が、大堰川を開削する工事で亡くなった人々をとむらうために、嵯峨の中院にあった千光寺を、移転し建立させたものです。源信の作と言われる千手観音菩薩を本尊としています。境内にある大悲閣は、大堰川の切り立った岩肌に建つ観音堂で、嵐峡の絶景を眺める事が出来ます。(リンク先より) << 戻る
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紹太寺-神奈川県小田原市

・長興山 紹太寺 黄檗宗 神奈川県小田原市入生田303小田原藩主・春日の局が眠る由緒ある長興山紹太寺(リンク先より) << 戻る
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寿昌院-東京都江戸川区

・寿昌院 黄檗宗 東京都江戸川区松本1-9-14<< 戻る
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大竜寺-東京都品川区

・大竜寺 黄檗宗 東京都品川区南品川4-2-16<< 戻る
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泰耀寺-東京都江戸川区

・泰耀寺 黄檗宗 東京都江戸川区東松本1-3-3<< 戻る
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西海寺-大阪府大阪市中央区

・西海寺 黄檗宗 大阪府大阪市中央区上本町西5-2-5<< 戻る
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長福寺-愛知県名古屋市千種区

・長福寺 黄檗宗 愛知県名古屋市千種区京命1-12-10<< 戻る
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国分寺-大阪府大阪市天王寺区

・国分寺 黄檗宗 大阪府大阪市天王寺区国分町11-20・和泉 ⇒ 畿内 摂津 国分寺 ⇒ 摂津摂津では現在、2つの国分寺があります。こちらの天德山国分寺周辺からは古い瓦などが出土し奈良時代の寺院であったと考えられることから大阪市はこちらを当初の国分寺であったと推定していますが、いずれかの時代に移転したのではないかと考えられています。<< 戻る
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国分寺-鳥取県鳥取市

・国分寺 黄檗宗 鳥取県鳥取市国府町国分寺31-1・但馬 ⇒ 山陰道 因幡 国分寺 ⇒ 伯耆<< 戻る
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済興寺-埼玉県久喜市

済興寺 黄檗宗 埼玉県久喜市東1-8-33
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河口慧海(かわぐちえかい)

黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。 中国や日本に伝承されている漢語に翻訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意。日本人として初めてチベットへの入国を果たした。『西蔵旅行記』『在家仏教』をはじめとして数多くの著作を残している。生誕 1866年2月26日(慶応2年1月12日)命日 1945年(昭和20年)2月24日<< 戻る
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高遊外(こうゆうがい)- 売茶翁(ばいさおう)

江戸時代の黄檗宗の僧。煎茶の中興の祖。本名は柴山元昭、幼名は菊泉。法名は月海で、還俗後は高遊外とも称した。佐賀蓮池支藩の藩医の三男として誕生。11歳で龍津寺に出家し僧名は月海。22歳で修行不足を恥じ江戸、仙台等各地へ出かけた。煎茶は長崎の中国僧から習ったとの説もある。また、隠元禅師が京都宇治に開いた、黄檗山(おうばくさん)萬福寺でも修業、中国伝来の文化に触れ、視野を広げた。晩年、龍津寺を弟弟子に託し再上洛。洛中に「通仙亭」という庵を構え、茶を売りながら禅や人の生き方を説いた。その姿に人々は親しみを込めて「売茶翁」と呼んだ。通仙亭には文人墨客が集まり「売茶翁に一服接待されなければ一流の文人とは言...
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安城寺-愛媛県松山市

・安城寺 黄檗宗 愛媛県松山市朝美2-5-16安城寺は、享保5年(1720年)徳川8代将軍吉宗のとき、松平定英が松山城主となり、享保8年(1723年)松山城と城下町が安泰でありますようにとの願いから「安城寺」と名付け、石門和尚により開山されました。(リンク先より) << 戻る
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了翁道覚(りょうおうどうかく)

江戸時代前期、教育文化、社会福祉、公共事業など各種の社会事業に貢献した黄檗宗の僧。出羽国雄勝郡八幡村生まれ。初め名を祖休といい、後に道覚とあらためた。号も初めは了然といい、後に了翁にあらためた。寛永20年(1643年)、了翁は陸奥国(後の陸中国)平泉の中尊寺(岩手県平泉町)を詣でたが、その際、多くの経典がすでに散逸してしまっていることを知った。特に藤原清衡奉納の宋版大蔵経の多くが失われていることを嘆き、近隣を探し回り、今日国宝の一部として知られる金銀交書(紺紙金銀交書大般若経)6巻を返納した。さらにこれ以後、散逸した経典や群書の蒐集と一切経蔵建立の運動に一生を捧げることを誓う。承応3年(165...
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禅林寺-東京都三鷹市

・霊泉山 禅林寺 公式ホームページ 黄檗宗 東京都三鷹市下連雀4-18-20元禄十二年(一六九九)八月台風のために建物が倒壊したので、松之坊は寺社再建不可能のために寺社地を村方へ返還した。 そこで村方一同は協議の末、江戸本所石原に在った黄檗宗賢洲元養禅師に寺社建立のことを懇請した。(リンク先より) << 戻る
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覚苑寺-山口県下関市

・覚苑寺 黄檗宗 山口県下関市長府安養寺3-3-10当山は長府藩主第三代毛利綱元公が、元禄11年(1698年)、黄檗山万福寺の第七代住持であった中国僧、悦山道宗禅師を勧請開山として迎え創建した黄檗宗の寺院です。もともと、当山の前身は市内綾羅木にあった古刹元享山利済寺でしたが、それを現在地に移し、名を法輪山覚苑寺と改められました。(リンク先より) << 戻る
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大年寺-宮城県仙台市太白区

・大年寺 黄檗宗 宮城県仙台市太白区門前町3-22元禄9年(1696)11月、第四代仙台藩主伊達綱村公が鍬入れの式を行って茂ケ崎の地を拓き、宮城郡若林にあった廃寺小蓬山仙英寺の遺址を此処に移して新たに堂塔を建設し、両足山大年寺と号しました。同10年(1697)、下総國向島弘福寺普應鐡牛和尚を請うて開山始祖とし、8月、落慶の祝典を挙げました。(リンク先より) << 戻る
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東光寺-山口県萩市

・東光寺 黄檗宗 山口県萩市椿東1647吉就は慧極のために寺を建てようとしたが、当時は新寺の建立が禁止されていたので、下関(厚狭郡松谷村)の廃寺であった東光寺(本尊薬師如来)を、家臣の別荘地であった萩松本の土地を買い取って移した。この東光寺創建は元禄四年(1691年)のことである。(リンク先より) << 戻る
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西願寺-静岡県駿東郡

・西願寺 黄檗宗 静岡県駿東郡長泉町下長窪3861654年に来日された中国僧隠元禅師によって創建された黄檗山萬福寺(京都府宇治市)を本山とする。名僧の一人「一切経」の木版を苦作された鉄眼禅師の兄弟子で、治山治水に功績を残された鉄牛禅師を開山とする。貞享3年(1686)12月鉄牛禅師の法嗣香州禅師がその志を継ぎ、愛鷹山麓の台地にあって長久保城跡と百沢渓谷を距てて相対する形勝の地に当寺を創建された。(リンク先より) << 戻る
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常休寺-兵庫県伊丹市

・常休寺 黄檗宗 兵庫県伊丹市中野北2-11-5承応3年(1654)に中国から渡日した隠元隆琦禅師が、寛文元年(1661)宇治に開山した黄檗山萬福寺の第2代木庵性滔和尚の弟子、慧極道明和尚によって天和3年(1683)に再勧請開山された。新田中野村は寛永7年(1630)に、浅野孫左衛門等によって開拓が始められ、以来50有余年の間、約50家族の人達によって村としての活動がなされ、村の様子も整ってきた。(リンク先より) << 戻る
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大興寺-佐賀県佐賀市

・大興寺 黄檗宗 佐賀県佐賀市神野東3-10-3佐賀藩主、鍋島光茂公、綱茂公らの熱心な帰依を受けた、黄檗開祖隠元禅師の直弟子即非禅師の法嗣、桂巖禅師を開山禅師として勧請、諫早4代領主の奥方、伊勢姫「霊光院殿聴松實操大師」を開基、諫早家の佐賀での菩提寺として、天和3年(1683)神埼の安国寺末であった即宗庵再興の許可を得、元禄16年(1703)9月、当時の寺社奉行・小城臨済宗圓通寺から大興寺の寺号を受け開かれた、京都宇治黄檗山萬福寺を大本山とする黄檗宗の末寺です。(リンク先より) << 戻る
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達磨寺-群馬県高崎市

・達磨寺 黄檗宗 群馬県高崎市鼻高町296昔、碓氷川のほとりに観音様を祀るお堂がありました。ある年の大洪水のあと、村人たちが川の中から香気のある古木を引き上げて霊木として観音堂に納めておきますと、延宝八年(1680)一了居士いちりょうこじという行者が霊夢によって訪れ、信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りしました。この噂は「達磨出現の霊地・少林山」として近隣に広まりました。(リンク先より) << 戻る
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東輪寺-愛知県名古屋市中区

・護国山東輪寺 黄檗宗 愛知県名古屋市中区松原3-15-18東輪寺は1674年(延宝二年)に、尾張二代藩主 徳川光友公によって創建された黄檗宗(禅宗)大本山萬福寺の直末寺院です。開山は、宗祖隠元禅師の高弟で、木庵禅師とならび黄檗の二甘露門と称された高僧・即非禅師。初代住職には、後に大本山萬福寺第六代の法席を継ぐ千呆禅師が就かれました。(リンク先より) << 戻る
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法雲寺-大阪府堺市美原区

・法雲寺 黄檗宗 大阪府堺市美原区今井192-甲黄檗三傑の1人、慧極道明禅師によって寛文12年(1672年)に開山された黄檗堀出観音(秘仏)宗の中本山格の寺であります。山門・天王殿・大殿(本堂)・開山堂・耀先殿など、黄檗様式の建物群としてのまとまりと、全てではないものの建築当初の伽藍構成を今に残しており、寺伝によれば、法雲禅寺の前身は弘法大師の開基で神福山長安寺と称する真言宗の巨刹でありましたが、元和年間(1615年~24年)に西除川の氾濫によって流失しました。(リンク先より) << 戻る
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即非如一(そくひ にょいつ)

江戸時代前期中国の明から渡来した臨済宗黄檗派(黄檗宗)の僧。福建省福州府福清県の出身。俗姓は林氏。字は即非。師の隠元に続いて来日し、長崎崇福寺・宇治黄檗山に住した。小倉の福聚寺の開山。黄檗三筆の一人。生誕 万暦44年5月14日(1616年6月27日)命日 寛文11年5月20日(1671年6月26日)<< 戻る