阿弥陀如来

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金相寺-神奈川県相模原市南区

・金相寺 浄土真宗東本願寺系単立 神奈川県相模原市南区麻溝台726-1【 寺号 】霊苔山 金相寺(りょうたいざん こんそうじ)【 宗派 】浄土真宗(東本願寺系単立)【 ご本尊 】阿弥陀如来(あみだにょらい)(リンク先より) << 戻る
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立徳寺-神奈川県伊勢原市

・立徳寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県伊勢原市桜台3-16-9立徳寺のご本尊(阿弥陀如来像)や親鸞聖人・蓮如上人・聖徳太子・七高僧の御影は、全てが約250年前に作られ、島根県邑智郡にある心光寺よりお迎えいたしました。心光寺は平成15年に、地域の事情により廃寺となったお寺です。現在、島根県では過疎化が進み、人口の減少と共に、ご門徒様の数も減り、寺院の存続が出来ないお寺も増えております。(リンク先より) << 戻る
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高徳院-神奈川県鎌倉市 – 鎌倉大仏

・高徳院 浄土宗 神奈川県鎌倉市長谷4-2-28高徳院(詳名: 大異山高徳院清浄泉寺)は、法然上人(1133 ~ 1212 年)を開祖とする浄土宗の仏教寺院です。法然上人は、善悪、男女、年齢、身分などの別なく、万人の救済を本願とされる西方極楽浄土の教主、阿弥陀如来に帰依されました。(リンク先より) << 戻る
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圓受寺-岐阜県安八郡

・圓受寺 真宗大谷派 岐阜県安八郡神戸町加納201-1真宗大谷派(本山:真宗本廟/京都•東本願寺)大垣教区第六組に所属。 御本尊の阿弥陀如来は、行基菩薩御制作と伝えられています。 晨朝の式次第と、お寺であったことなどは住職日誌として呟いてます。 << 戻る
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元善光寺-長野県飯田市

・元善光寺 天台宗 長野県飯田市座光寺2638お釈迦様のご在世当時、天竺国(現在のインド)の月蓋(がっかい)長者の願いによって此の世に出現された阿弥陀如来様は、今からおよそ千四百年前、欽明天皇の御代に百済国から日本へ渡ってこられました。しかし、物部氏と蘇我氏の争いの後、物部氏によって難波の堀に沈められてしまいました。その後、推古天皇十年に信州麻績(おみ)の里(現在の飯田市座光寺)の住人本多善光(ほんだよしみつ)公が、国司の供をして都に上がった時に、難波の堀にて阿弥陀如来様にめぐりあい生まれ故郷へお連れし、お祀りしたのが元善光寺の起源です。(リンク先より) << 戻る
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真福寺-長野県岡谷市

・真福寺 真言宗智山派 長野県岡谷市川岸上2-6-6ご本尊は印相を上品上生に結んだ阿弥陀如来座像。中国宋代の仏像様式である宋朝様式を取り入れた室町時代中期の作。裳先が前に迫り出し、螺髪もよく彫り出され、神秘的で調和のとれた優美な形態を見せています。(リンク先より) << 戻る
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徳増寺-青森県弘前市

・徳増寺 浄土宗 青森県弘前市新寺町111「浄土宗」の寺院(本尊=阿弥陀如来)青森教区弘南組(寺院番号No.2)(リンク先より) << 戻る
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西善寺-神奈川県相模原市南区

・西善寺 真宗大谷派 神奈川県相模原市南区双葉1-14-2昭和47年に福井県より当地、相模原市南区双葉に移転。その後、昭和57年9月末、門信徒の浄財によって建立された大伽藍。総建坪が1109平方メートル(340坪)で間口は25メートル、奥行き25メートル、高さが20メートルある重層屋根葺の鉄筋コンクリート造りである。(リンク先より) << 戻る
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易行院-東京都足立区

・易行院 浄土宗 東京都足立区東伊興4-5-5落語家の三遊亭圓楽 (5代目)の実家でもあり、境内に墓所があります。また、その隣には1972年(昭和47年)の日本航空ニューデリー墜落事故で犠牲となった、客室乗務員で五代目圓楽の妹 吉河信子の供養観音が建てられています。歌舞伎の演目「助六」のモデルとなった助六とその愛人揚巻の比翼塚があり、七代目市川團十郎が建立しました。このことから、助六寺という通称でも呼ばれます。<< 戻る
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大善寺 極楽寺 寺の本尊・阿弥陀如来立像は、宇佐神宮の大弐堂の本尊であった。

宇佐大善寺曹洞宗・上には弥勒寺金堂本尊・薬師如来坐像、他に日光・月光菩薩立像、不動・愛染明王像が移された。薬師如来坐像は丈六の大仏で国指定重要文化財である。極楽寺の丈六じょうろくの弥勒菩薩坐像と共に弥勒寺の規模をうかがわせる貴重な仏像である。極楽寺浄土真宗本願寺派・下には弥勒寺講堂本尊・弥勒仏坐像が安置されている。丈六の大仏で県指定文化財である。(リンク先より)・大善寺 極楽寺 寺の本尊・阿弥陀如来立像は、宇佐神宮の大弐堂の本尊であった。
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蓮花院-群馬県高崎市

・蓮花院 真言宗豊山派 群馬県高崎市下小鳥町53-2蓮花院は、真言宗のお寺です。真言宗は、平安時代に弘法大師によって開かれました。蓮花院の本尊様は阿弥陀如来です。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

『観音経』26

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正善寺-栃木県足利市

・正善寺 天台宗 栃木県足利市常見町1-12-15正善寺の阿弥陀如来は、昭和51年に日光山輪王寺より勧請(かんじょう)された仏様です。身の丈約1メートル、当時奈良博物館の館長をされていた石田茂作氏に鑑定していただいた書簡によると、製作は鎌倉中期とされ、日本で最初の仏師とされる定朝様式(じょうちょうようしき)の阿弥陀如来とされています。(リンク先より) << 戻る
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正行寺-東京都中野区

・正行寺 浄土真宗本願寺派 東京都中野区中央3-47-4正行寺は、昭和12年にできた比較的新しい、お檀家(ご門徒)の皆様と共に、はぐくみ続けているお寺です。浄土真宗本願寺派(お西)の流れをくみ、ご本尊は阿弥陀如来さまをお迎えしております。(リンク先より)※昭和12年 1937年 << 戻る
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重恩寺-群馬県桐生市

・重恩寺 浄土真宗本願寺派 群馬県桐生市東2-8-41【本尊】 阿弥陀如来【開基】 多田立観 【開創】 嘉永元年(1848年)(リンク先より) << 戻る
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宝円寺-愛知県北名古屋市(観音寺-愛知県一宮市)

・宝円寺・観音寺のHP 曹洞宗 愛知県北名古屋市西之保字東屋敷20山号を大法山と号し、本尊阿弥陀如来、曹洞宗三ツ淵正眼寺ソウトウシュウミツブチショウゲンジの末寺。『寛文村々覚書』に、宝蔵庵と記されています。天保四(1833)年三月に、正眼寺三十六世賢外逸俊和尚が寺号を宝円寺に改め法地開山となりました。山号を永昌山と号し、本尊十一面観世音菩薩、曹洞宗三ツ淵正眼寺の末寺。もとは真言宗の巨刹であったが、応仁の兵燹(ヘイセン)(1467)に遭ったと伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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光福寺-佐賀県藤津郡

・光福寺 浄土真宗本願寺派 佐賀県藤津郡太良町大字大浦甲190石上山光福寺は慶長年間(1600年頃)の創建と伝えられていますが詳細は不明です。太良町誌によると、文化10年(1813)第7世髄泉和尚の時に、竹崎の海岸に大きな木材が流れ着きました。寺ではその木材で阿弥陀如来を刻むことを思い立ち、弥一という仏師に命じて阿弥陀如来像を彫刻し、寺の本尊として永く安置するようになりました。(リンク先より) << 戻る
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楷定寺-大阪府高石市

・古今山 楷定寺 浄土真宗本願寺派 大阪府高石市取石2-24-11江戸時代中期の元文年間(一七三六〜一七四〇年)陽柳法師により創建せれたと伝えられています。現在の本堂は、江戸時代後期の文化十年(一八一三年)に建立されました。本尊の阿弥陀如来立像は、江戸時代に制作され、高さ六一・五㎝の寄木造りです。(リンク先より) << 戻る
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総持院-愛知県岡崎市

・総持院 臨済宗東福寺派 愛知県岡崎市岡町字西野々宮17開創は享保三年(1718)、開山は唱宗和尚である。本尊様は阿弥陀如来坐像、鎮守様は秋葉山大権現。800年程前にあった薬師堂を基に開かれた寺院である事から、山号を「薬王山」とされている。(リンク先より) << 戻る
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引接寺-茨城県那珂市

・引接寺 浄土宗 茨城県那珂市額田南郷429元禄9年(1696)に、水戸黄門で知られている徳川光圀公により、浄鑑院常福寺の末寺として建立されました。ご本尊阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩は、茨城県の指定文化財となっています。(リンク先より) << 戻る
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紫雲山常光寺-大阪府門真市

・紫雲山常光寺 浄土真宗本願寺派 大阪府門真市野里町24-5惣道場としての成立は江戸初期。 元禄2年(1689)に阿弥陀如来と寺号が許可され、元禄11年には、「親鸞聖人御影」と「七高僧御影」を寂如上人(西本願寺14代宗主)より授受し、江戸中期に道場から寺院に発展いたしました。 その後、天明4年(1784)には、法如上人(西本願寺17代宗主)より、「蓮如上人御影」が許可されました。(リンク先より) << 戻る
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瑞相寺-山口県岩国市

・瑞相寺 浄土宗 山口県岩国市岩国1-14-21現在の8間4面総けやきの本堂は、天和2年(1682年)に建立、安政6年(1859年)に改修されました。御本尊は恵心作と伝わる阿弥陀如来です。阿弥陀如来の向かって右側は慈悲を司る観音菩薩、左側は智慧を司る勢至菩薩です。(リンク先より) << 戻る
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願隆寺-愛知県名古屋市中村区

・紹光山願隆寺 真宗高田派 愛知県名古屋市中村区烏森町6-142万治三年開創。受院真諦空全大法師が親鸞聖人の教えに帰依し、自ら烏森城跡に庵室を建立。その後、高田派本山第十六世堯円上人の時、願隆寺と称されるようになる。昭和20年3月、空襲により本堂庫裡を失ったが、33年に梵鐘を再鋳。48年には全ての再建を終える。本尊は、恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来。正式には「紹光山 願隆寺」と称する。(リンク先より)※万治三年 1660年 << 戻る
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浄円寺-青森県つがる市

・浄円寺 浄土宗 青森県つがる市柏桑野木田字福井13-1浄円寺が開かれたのは明暦元年(1655)のことです。開基は浄土宗祖、法然上人の高弟である金光上人、御本尊は阿弥陀如来です。地域に育まれ、檀信徒の皆様に見守られて歴史を積み重ねてきました。(リンク先より) << 戻る
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浄行寺-熊本県熊本市南区

・浄行寺 浄土真宗本願寺派 熊本県熊本市川尻1-5-871652年(承応元年)慶智の開基で、熊本市坪井にある浄行寺の末寺。本尊は安阿弥様(あんなみよう)との伝えがある二尺二寸の阿弥陀如来です。(リンク先より) << 戻る
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萬行寺-長崎県西彼杵郡

・萬行寺 真宗大谷派 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷1411612年(慶長17年)、秀吉による「切支丹(キリシタン)禁令」が発令されたことにより、大村藩内は仏法の興隆の地となっていた。その動きの中、1647年(天保4年)真宗専念山正法寺(大村藩)の末寺として、松浦(佐賀)出身の御厨左馬之助/みくりや さまのすけ (釈道夢)により開基された。 道夢は小島(現在地より100m位の地)に仏像を安置し庵を設け、真宗の法を広め庶民の強化に励んだ。その後三世了閑(りょうかん)により、1666年(寛文6年)、現在地に堂を移し、一尺八寸の阿弥陀如来を西本願寺より免許され本堂と庫裏を建立。1683年(天和3年)に「...
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龍善寺-東京都新宿区

・龍善寺龍善寺 真宗大谷派 東京都新宿区早稲田町77龍善寺は江戸時代初め1638年に創建されました。 宗派は、親鸞聖人を宗祖とする真宗(浄土真宗)大谷派(いわゆる「お東」)であり、本山は、京都・東本願寺になります。当寺の本尊は、親寺である三河(現在の愛知県岡崎市)の「上宮寺」より移された阿弥陀如来像であり、約800年前の鎌倉時代初期の作と言われ、新宿区の文化財に指定されております。(リンク先より) << 戻る
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養源寺-鳥取県鳥取市

・養源寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県鳥取市職人町45御本尊  阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)開基  慶心大和尚(俗名 上田半蔵) 遷移  岐阜県大垣市→愛知県豊橋市→岡山市→鳥取市(1633年)(リンク先より) << 戻る
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丈六寺-大分県豊後大野市

・丈六寺 臨済宗妙心寺派 大分県豊後大野市三重町秋葉1274・古くは極楽寺と称し、一丈六尺の阿弥陀如来を安置していたことから、後に丈六寺になったといわれている。・天正年間の薩摩軍の侵攻により丈六仏と共に消失。・約40年後の寛永5年(1628年)実傳受眞が創建。(リンク先より) << 戻る
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徳源寺-滋賀県甲賀市

・徳源寺-facebook 浄土宗 滋賀県甲賀市信楽町下朝宮462㭝牛という僧が元和8(1622)年に法泉寺として開山した。その後、領主山口源助が浄土宗に改め、京都黒谷金戒光明寺に末属した。正保4(1648)年源助が亡くなった時に白龍という住職が源助の法号から寺名を徳源寺と改めた。本尊阿弥陀如来立像(木造、漆箔、古色、像高93.3cm)は、原材の丸太を彷彿とさせるような体系が特徴である。現在は、一度前後に割り放して内部にえぐった痕があるが、これは後世の所為と考えられている。10世紀後半の作品だと目されている。現在は来迎印を結んでいるが、当初は異なった施無畏・与願印だった可能性が示唆されている。...
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台林寺-栃木県小山市

・台林寺 天台宗 栃木県小山市飯塚1582信祐法印の開山で創建は元和年間(1620年頃)と伝えられております。当、寺院の本尊は阿弥陀如来です。大乗仏教の如来の一つ、梵名「アミターバ」といい「阿弥陀」と音写します。阿弥陀如来は、無限 の光を持つもの、無量の寿命をもつものを意味します。(リンク先より) << 戻る
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西岸寺-東京都文京区

・東光山荘厳院 西岸寺 浄土宗 東京都文京区春日1-12-12創 建 元和2年(1616年)開山上人(初代住職) 単称長察和尚開 基(お寺の創建者) 内藤家と小田切家本 尊 阿弥陀如来 木立像2尺 恵心僧都作と伝えられている(リンク先より) << 戻る