便り 岩松院-長野県上高井郡 ・岩松院 曹洞宗 長野県上高井郡小布施町大字雁田615荻野備後守常倫が雁田の辺に20端の城塁をつくり岩松と称しました。開創は文明4年(1472年)、開山は不琢玄珪禅師。本尊仏は宝冠をいただく釈迦牟尼仏で、江戸時代初期(慶長かその直後)に作られました。(リンク先より) << 戻る 1472.01.01 便り年表
便り 龍谷院-茨城県東茨城郡 ・龍谷院 曹洞宗 茨城県東茨城郡城里町下阿野沢1509龍谷院は、曹洞宗の寺院として、長禄三年(1459年)八月十四日に時の大山城主・佐竹義成公によって開基されました。開山は、秀峰宗岱大和尚です。本尊は、釈迦牟尼仏で、明応八年(1499年)巳未八月彼岸鎌倉の仏師・法眼秀林の作とされています。(リンク先より) << 戻る 1459.01.01 便り年表
便り 承福寺-福岡県宗像市 ・承福寺 臨済宗大徳寺派 福岡県宗像市上八1373安延山承福寺は釈迦如来を本尊とし文殊菩薩・普賢菩薩を脇侍仏として奉る臨済宗大徳寺派一等地の寺です。はじめ当山は600年ほど前の応安年(1373)その当時の禅界に重きをなした大応国師より三代目の法孫勅諡正続太祖月庵宗光禅師を勧請開山とし、宗像社僧高橋助法橋安延大徳の開創せるものであります。(リンク先より) << 戻る 1373.01.01 便り年表
便り 保寧寺-埼玉県加須市 ・保寧寺ホームページ 臨済宗妙心寺派 埼玉県加須市日出安1286当寺は東安山と号し、本尊に釈迦如来像を奉安する。元徳2年(1330年)に玉山徳旋によって、禅寺として開山されたという。天正19年(1591年)には、時の騎西城主松平康重から田畑一町歩の寄進を受けている。これは当寺の中興開山である南雄和尚に帰依してのことで、後に歴代徳川将軍から寺領十石の御朱印を賜っている。(リンク先より) << 戻る 1330.01.01 便り年表
便り 壽徳寺-栃木県足利市 ・壽徳寺 臨済宗建長寺派 栃木県足利市野田町1463開山 大本山建長寺第十一世 大通禅師《中国宋朝の名僧で 名は 西澗子曇(せいかんすどん)》開山忌 10月28日創建 鎌倉時代 嘉元元年(1303年)本尊 釈迦牟尼佛(リンク先より) << 戻る 1303.01.01 便り年表
便り 聖壽寺-岩手県盛岡市 ・聖壽寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-12-15「聖寿寺」は建長六年(1254)、南部家第二代南部実光公により初代光行公の菩提を弔うため、現在の青森県三戸郡南部町に創建されたことに始まる。開山は三光国師( 孤峰覚妙 1271~1361)、本尊は釈迦如来。かつてその一帯は南部氏の居城になっており本三戸城(もとさんのへじょう)と呼ばれていたが、後世になって聖寿寺館(しょうじゅじだて)とも呼ばれるようになった。(リンク先より) << 戻る 1254.01.01 便り年表
便り 永平寺-福井県吉田郡 ・永平寺 曹洞宗 福井県吉田郡永平寺町志比5-15道元さまが四十三歳の頃、俗弟子であった波多野義重公の招きにより、越前の地に赴きます。翌年、道元さまは大仏寺を開き、二年後に「永平寺」と改称します。永平寺では、如浄禅師の教えに従い、たとえ一人でも、正しいみ仏の教えを伝え行ずる者を育てようと身心を尽くされました。(リンク先より)※創建は寛元2年(1244年)、山号を吉祥山と称し、開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏。 << 戻る 1244.01.01 便り年表
便り 興禅寺-兵庫県尼崎市 ・興禅寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県尼崎市浜田町1-7興禅寺は建久元年(1190年)に臨済宗の開祖・栄西千光国師が宋から帰国後、西国各地を伝道した折に開山され、令和元年で創建829年に至る禅宗の古刹です。兵庫県尼崎市唯一の禅・臨済宗妙心寺派寺院です。安置されてる本尊・釈迦牟尼佛は、室町時代初期の作であり、戦国時代の再三の兵火から護られてきました。(リンク先より) << 戻る 1190.01.01 便り年表
便り 泉龍寺-東京都狛江市 曹洞宗 東京都狛江市元和泉1-6-1伝説によれば、奈良東大寺の開山として名高く、伊勢原の雨降山大山寺をも開いた良弁(ろうべん)僧正が天平神護元年(765年)この地にやってきて雨乞いをし、法相宗・華厳宗兼帯の寺を創建したのが泉龍寺のはじめとされています。(リンク先より) << 戻る 0765.01.01 便り年表
便り 大池寺-滋賀県甲賀市 ・大池寺 臨済宗妙心寺派 滋賀県甲賀市水口町名坂1168天平年間(729~784)諸国行脚の高僧、行基菩薩(668~749)がこの地(現在の滋賀県甲賀市水口町名坂)を訪れた際、日照りに悩む農民のため、灌漑用水として、「心」という字の形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、一彫りごとに三拝したという「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されている。 当時の文献は、何一つ、残されてはいないが『甲賀郡志』『水口町志』によると、寺の名を「邯鄲山青蓮寺」といい、山内寺院は八ヶ寺を数え、七堂伽藍の備わった、天台宗の寺であったという。(リンク先より)<< 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 神武寺-神奈川県逗子市-観蔵院 ・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市桜山5-6-1・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市沼間2-1402醫王山来迎院と号する神武寺は、神亀元年(七二四)正月、聖武天皇の命により 行基菩薩が十一面観音・薬師如来・釋迦如来の尊像を彫刻・奉安し、玉体安穏・萬国和平・萬民豊楽の祈祷道場として開山された寺院です。(リンク先より) << 戻る 0724.01.01 便り年表
便り 釈迦尊寺-群馬県前橋市 ・釈迦尊寺 曹洞宗 群馬県前橋市元総社町2497-1五八七年 三十一代用明天皇二年蘇我馬子が、物部守屋を滅ぼしたとき物部氏に加担した中臣羽鳥連と妻、玉照姫は上毛野国青海に流罪となる。玉照姫は聖徳太子の乳母にて、太子の守仏、闇浮壇金一寸八分の釈迦尊仏を、太子より授けられる。(リンク先より) 2016年には当寺で三遊亭円楽(6代目)が得度を行っている。<< 戻る 0587.01.01 便り年表