群馬県(真言宗豊山派)

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安勝寺-群馬県邑楽郡

・安勝寺 真言宗豊山派 群馬県邑楽郡板倉町大字籾谷甲1659※掲載内容の再確認をしたところ表示できなかったためリンクを外しています(2019年12月)。(旧アドレス:)僧光尊の創建による光明山清浄院安楽寺と、僧光研の創建による正応山浄土院最勝寺が合併して誕生した寺になります。安楽寺は元禄16年(1703)1月1日と慶應元年(1865)4月5日に火災に遭い二回も全ての堂宇を灰にしてしまうのですが、慶應元年の火災後、仮のお堂のままだったため、無住となった最勝寺の本堂と阿弥陀堂を安楽寺の境内に移築し、前述のように寺名を改称した安勝寺が引き継いでいます。 << 戻る
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常楽寺-群馬県太田市

・常楽寺 真言宗豊山派 群馬県太田市上田島372真言宗豊山派の寺で明治に入り、旧宝泉村大字上田島の3ヶ寺が合寺して『紫雲山阿弥陀院常楽寺』として、現在の地に移り今日に至ります。(リンク先より) << 戻る
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観音院-群馬県桐生市

・観音院(日限地蔵尊) 真言宗豊山派 群馬県桐生市東2-13-18ある夜この家の主人の夢まくらにお地蔵様が現れ「わたしが毎夜そなたの家の外に立っているのは、そなたの家を守護するためだ。私は野天に立っているため衆人の信仰もない。大勢の人々を守護するためお堂を建ててほしい。その時は何日なりと日を限って願かけをすれば必ず願望をかなえよう。」とお告げがあった。(リンク先より) << 戻る
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光泉寺-群馬県吾妻郡

・光泉寺 真言宗豊山派 群馬県吾妻郡草津町甲446行基建立の薬師堂は古くから日本三大温泉薬師の一つとして著名であった。東の草津、西の有馬は吾が国の温泉の二大双璧でこれに山中の湯、城崎の湯、道後の湯のいづれかが加わって日本温泉三大薬師と呼ばれた。(リンク先より) << 戻る
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石上寺-群馬県高崎市

・石上寺 真言宗豊山派 群馬県高崎市三ツ寺町64石上寺は群馬町三ッ寺公園に隣接する小高い丘の上にある静かなたたずまいの寺である。ここに至るまでの歴史は古く千百年を越える。その間、歴史の推移の中で幾度もの大きな変転があった。それは箕輪城主、長野氏やその後高崎城主、井伊直政氏らの祈願所として、戦国の城郭と栄枯盛衰を共にしてきたからでもある。(リンク先より) << 戻る
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天明寺-群馬県前橋市

・天明寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市池端町645当寺は江戸中期の天明年間〔1781~1788〕に開創されたことにより天明寺と名づけられたと伝えられておりますが、実際には歴代住職の墓誌に「恵弁 貞享三丙寅天三月廿三日」とあります。このことから推測すると貞享三年〔1688〕には小さな庵を掬んでひっそりと仏道を歩んでいたのかもしれません。(リンク先より) << 戻る
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全性寺-群馬県太田市

・全性寺 真言宗豊山派 群馬県太田市大原町371宮林山 全性寺(ぐうりんざん ぜんしょうじ)と読みます。本堂に御本尊 大日如来をおまつりしております。 貞享4年3月21日(1687年)、新田郡新田町の大慶寺第十五世 住職教寛の弟子で全性法印(舜祐和尚)によって開基されました。(リンク先より) << 戻る
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実相寺-群馬県邑楽郡

・実相寺 真言宗豊山派 群馬県邑楽郡板倉町板倉甲1678慶長14年(1609年)徳川2代将軍秀忠公による伊奈良沼の白鳥鉄砲狩りの為、沼のほとりにある実相寺外農家18軒が移転した。これより遡る事11年、慶長3年あの栄華を極めた豊臣秀吉が五大老(徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家)に秀頼を託し死去。秀吉の願いとは裏腹に、死去して2年後の慶長5年に関ヶ原の役起こり、東軍(徳川方)は西軍(石田光成方・実質は秀頼方)を破る。(リンク先より) << 戻る
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金剛寺-群馬県前橋市

・金剛寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市苗ヶ島町1147開山は承安年間(1171~1175)赤城山大通庵に創建し、山号を霊松山、院号を歓喜院と号した。 次いで寺山と呼ばれる地に移り、慶長、元和の頃(1596~1624)第4世円義上人の代になり、現在地に建立されたと伝えられる。 宝暦年間火災の為灰燼に帰したが、7世智海阿闍梨和尚再建現堂宇は当時のものである。 創建時は京都醍醐寺派報恩院末寺であったが、明治になって奈良県長谷寺の末寺になった。(リンク先より) << 戻る
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龍願寺-群馬県前橋市

・龍願寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市粕川町中之沢349本尊は不動明王(波切不動明王)。大同2年(806年)10月空海(後の弘法大師)様御帰朝の際、玄界灘の荒れ狂う風と波に船は翻弄され、たびたび沈没の危機にさらされた時、大師様が祈念され不動明王を示現されました。 (リンク先より) << 戻る