神奈川県

便り

慶運寺-神奈川県横浜市神奈川区

・吉祥山 茅草院 慶運寺 浄土宗 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町18-2当慶運寺は、室町時代。文安四(一四四七)年に定蓮社音誉聖観(芝増上寺三世)によって開創されました。本尊は、「阿弥陀如来」で、寺宝としては音誉聖観上人像一体と広誉是感上人像一体を安置しています。(リンク先より) << 戻る
便り

長生寺-神奈川県横浜市金沢区

・壽楽山・長生寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市金沢区六浦2-8-2長生寺は もとは真言宗で無量院と言い、釜利谷の小泉の谷戸にありましたが、康安元年(1361年)に六浦の荘、川村平分に移りました。文明年間に本願寺第8代門主、蓮如上人が関東遊化の折、野島から横須賀浦辺までの船中で時の住職が上人に帰依し、六字の尊号染筆と法名、釈頓乗を賜わり、天文元年(1532年)、浄土真宗に改宗し当山開基となりました。寺号を長生寺と改め、寛永年間現在の六浦の荘、三分に移築されました。(リンク先より) << 戻る
便り

福聚寺-神奈川県横浜市保土ヶ谷区

・福聚寺 臨済宗建長寺派 神奈川県横浜市保土ヶ谷区岩井町56建武2年(1335年)南北朝時代初期に創建されました。寛政年間までは現在の横浜市西区久保町にありましたが、隠居寺であった蓮求庵(現在の地)に移転し、(明治21年本堂落慶)現在に至っています。(リンク先より) << 戻る
便り

報国寺-神奈川県鎌倉市

・報国寺 HOUKOKUJI 臨済宗建長寺派 神奈川県鎌倉市浄明寺533建武元年(1334年)報国寺開山(仏乗禅師)さまは、現在地に休耕庵を建てて修業なされました。また余暇を得て、詩作を楽しみとしつつ、静かな御生涯を過ごされました。そのゆかりの御堂跡に、今こんなに美しい竹が生い繁るようになったのです。何卒心静かに眺めて下さい。又この寺の開基は足利家時ですが、上杉重兼も寺の創設にかかわっています。家時から二代後の足利尊氏は室町幕府を樹立し、関東を治めるのに子息基氏を鎌倉公方に据えました。(リンク先より) << 戻る
便り

最願寺-神奈川県横浜市鶴見区

・延慶山 最願寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市鶴見区矢向4-19-18最願寺は、延慶山実相院といい、浄土真宗に属し、創立は延慶元年(1308)と伝えられ、開基は、宇多源氏源三秀義の末流宗重であるといわれます。はじめは真言宗でしたが、慶長年間(1596-1614)に祐源が東本願寺の教如上人に帰依して真宗に改め、元禄10年(1697)第6世良賢が西本願寺第14代寂如上人に帰参して現在にいたっています。(リンク先より)<< 戻る
便り

宝戒寺-神奈川県鎌倉市

・宝戒寺 公式サイト 天台宗 神奈川県鎌倉市小町3-5-22当山は天台宗の寺院で金龍山 釈満院 円頓宝戒寺(きんりゅうざん しゃくまんいん えんどんほうかいじ)と号す。開基は後醍醐(ごだいご)天皇(1288~1339)開山は天台座主 五代 国師円観恵鎮慈威和上(てんだいざす ごだい こくしえんかんえちんじいかしょう)(注1)で建武(2年)年間創建された。当寺は北条義時(よしとき)が小町邸を造って以来北条執権の屋敷となり、元弘(げんこう)3年(1333)5月22日北条九代滅亡後その霊を慰めるため、又、国宝的人材を養成修行せしめる道場として後醍醐(ごだいご)天皇が足利尊氏公に命じこの屋敷跡に建立さ...
便り

東慶寺-神奈川県鎌倉市

・北鎌倉 松岡山東慶寺 臨済宗円覚寺派 神奈川県鎌倉市山ノ内1367東慶寺は鎌倉時代の弘安8年(1285)に開創された臨済宗円覚寺派の寺院です。女性から離婚できなかった封建時代に、当寺に駆け込めば離縁ができる女人救済の寺として明治に至るまでの600年間、縁切りの寺法を引き継いできました。(リンク先より) << 戻る
便り

無量光寺-神奈川県相模原市南区

・当麻山 無量光寺 時宗 神奈川県相模原市南区当麻578当寺をひらいたのは、「踊り念仏」を広めたことで知られる一遍上人さまです。文永7年(1270)上人が32歳の時、また弘安4年(1281)43歳の時に、奥州遊行の帰路、当山にとどまり修行をされたと伝えられています。弘安5年(1282)の3月、上人は鎌倉方面に向け遊行の旅に発たれることになりました。このとき名残を惜しむ弟子や信徒に乞われ、自らの姿を水鏡に映し、筆をとって絵姿を描き、自ら頭部を刻み、弟子たちも力を合わせて等身大の木像を完成されました。これが御影の像として尊ばれ、現在も本尊として安置され、多くの人々を信仰の道に導かれているのです。(...
便り

建長寺-神奈川県鎌倉市

・大本山 建長寺の公式ページ 臨済宗建長寺派 神奈川県鎌倉市山ノ内8建長7年(1255)2月に造られた梵鐘(国宝)に「建長禅寺」とあるように、当寺は我が国で最初に”禅寺”と称した中国宋朝風の臨済禅だけを修行する専門道場である。およそ、中世を通じての寺院は、1か寺で天台宗と真言宗・浄土宗などを兼ねている例が多かったから、建長寺のような1寺1宗という浄刹はたいへん珍しかったといえる。しかし、寺が建てられる前の寺域は、地獄谷とよばれた罪人の処刑場になっていたと伝えられていた。この谷に地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という仏堂が建っていたが、建長寺を開創するにさいし、時頼によって堂は巨福呂坂に移され...
便り

光円寺-神奈川県小田原市

・光円寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県小田原市城山4-23-32光円寺の原名を実相寺という。頼賢という僧侶が相模小田原に実相院を開いて第一祖となった。実相院の建立年は不明であるが、寛喜3年(1231)に寺院設立の証を与えられているのはわかっているから、その時から頼賢の入寂の文永10年(1273)12月までであると思える。今から約750年前であるしかし、その後約300年続いた実相院も1500年代には廃寺となった。(リンク先より) << 戻る
便り

乗誓寺-神奈川県横須賀市

・東教山 乗誓寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横須賀市東浦賀1-20-10乗誓寺の開基である了源(平塚入道了源)は、藤原鎌足を祖として十八代を数える末裔であり、伊豆の曽我十郎祐成を父に、大磯の虎御前を母にもち、出家前の名を河津三郎信之と称したと伝えられる。曽我十郎、虎御前とも、江戸期より今日まで、歌舞伎や謡曲、浄瑠璃、浮世絵などでは『曽我物語』として広く民衆に親しまれ、仇討物語の代表的な演目として有名である。河津三郎信之(出家前の了源)は、父と同じく武士として源実朝に仕え、多くの武功を残した。その恩賞として平塚の地を賜るが、同族の宿縁と積年の仇敵に感じるところがあり、求道の日々を過ごすこととなる...
便り

東昌寺-神奈川県逗子市

・青龍山 東昌寺 高野山真言宗 神奈川県逗子市池子2-8-33東昌寺は、鎌倉時代に北条泰時により執権家歴代の菩提寺として鎌倉の西ケ谷(鎌倉市小町)に建立された東勝寺に由来すると伝えられています。東昌寺は、当時、青龍山東勝寺と呼ばれていました。一方、後に東昌寺の境内に移されることになった丈六阿弥陀如来を祀った阿弥陀堂が、承久2年(1221年)に池子の大上阿弥陀ヶ谷(おおがみあみだがや: 現在の県立逗子高校の奥)に建立されました。この阿弥陀堂は、源実朝の非業の死を弔うために母親の政子刀自(とじ: 年輩の女性を敬意を添えて呼ぶ語)が、仏師・運慶に依頼して丈六阿弥陀如来像を彫らせ祀ったと伝えられていま...
便り

成就院-神奈川県鎌倉市

・鎌倉 成就院 公式ホームページ 真言宗大覚寺派 神奈川県鎌倉市極楽寺1-1-5護摩修法が行われていたこの地に、鎌倉幕府<三代執権北条泰時>が<1219年>成就院を建立。 1333年新田義貞の鎌倉攻めで焼失し西ヶ谷に移ったが、1688年元禄元年江戸時代ににより元の地に再建され、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
便り

雲昌寺-神奈川県藤沢市

・雲昌寺 曹洞宗 神奈川県藤沢市亀井野1457相摸國風土記稿によれば当山は、建保年間(1213年~1219年)に鎌倉幕府二代執権 北条義時が唐より帰朝後、藤沢今田村の地に建立した瑞龍寺を起源とします。 慶長元年(1596年)7月水害で罹災した後、鎌倉市植木の龍宝寺四世玖山宗順和尚を開山に迎え、現在地亀井野に移り寺号を曹洞宗光輝山雲昌寺と改めました。(リンク先より) << 戻る
便り

満昌寺-神奈川県横須賀市

・義明山満昌寺 臨済宗建長寺派 神奈川県横須賀市大矢部1-5-10当山は建久5年(1194)、三浦大介義明を開基として源頼朝が建立して820年余の星霜をへた名刹である。この年は義明が逝って14年もたったが、頼朝は伊豆の挙兵のおりに老大をなげうち、幕府開闢の礎になった無二の忠臣義明の霊に一字を献じたかったのであろう。140年ののち、仏乗禅師が中興開山となり、臨済宗建長寺派の寺となり、禅寺として今に至っている。(リンク先より) << 戻る
便り

宝善院-神奈川県平塚市

・宝善院 東寺真言宗 神奈川県平塚市平塚1-23-16建久三年、鎌倉八幡宮寺(今の鎌倉八幡宮:明治維新までは関東地方屈指の真言系巨大寺院であった)に下向した京都・東寺の学問僧によって開山されました。源実朝公の妻の念持仏と伝えられる、京都より請來の不動明王です。(リンク先より)※建久三年 1192年 << 戻る
便り

龍華寺-神奈川県横浜市金沢区

・知足山 龍華寺 真言宗御室派 神奈川県横浜市金沢区洲崎町9-31鎌倉の外港として栄えた武州金沢に整然とたたずむ古刹「龍華寺(りゅうげじ)」。寺のおこりは、文治年中(1185~1190)に源頼朝が六浦山中に創建した浄願寺で、明応8年(1499)に融弁上人によって現在の地にあった光徳寺と併合され、移築されました。(リンク先より) << 戻る
便り

増全寺-神奈川県海老名市

・増全寺 浄土宗 神奈川県海老名市中新田1578開山は因公学円上人で、嘉応元年7月15日寂(1169)、開基は鎌倉末期の領主・海老名源八衛広綱とされ、法名の無量院殿龍池増全大居士から山院寺号が付けられ、龍池山無量院増全寺と号す。 開山当時は密教系寺院であったようであるが、浄土宗へ改宗した時期・経緯等は伝えがなく不明である。(リンク先より) << 戻る
便り

川崎大師(平間寺)-神奈川県川崎市川崎区

・川崎大師(平間寺) 真言宗智山派 神奈川県川崎市川崎区大師町4-48崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。(中略)兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。それは、大師の尊いお像でした。兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養をおこたりませんでした。その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、...
便り

塩谷寺-神奈川県横浜市港北区

・薬王山塩谷寺ホームページ 天台宗 神奈川県横浜市港北区高田西4-34-35薬王山光明院塩谷寺は、平安時代の初期、仁寿元(851)年に慈覚大師円仁によって開山された、天台宗の寺院です。文徳天皇(在位851~858)の時代、天皇は皇后の病や世継ぎの問題に悩まれておられました。この時、慈覚大師によって遠く横浜高田の地に湧き出でる、霊験あらたかであると言われる霊泉が献上されました。(リンク先より) << 戻る
便り

安楽院-神奈川県小田原市

・安楽院 真言宗東寺派 神奈川県小田原市国府津1762【本尊】 大聖不動明王(ダイショウフドウミョウオウ) 【脇佛】 十一面観世音菩薩・地蔵菩薩・千手千眼観世音菩薩・弘法大師両部曼荼羅図像・八祖大師図像【開創】 天長10年(833年)6月15日(リンク先より) << 戻る
便り

称名寺-神奈川県川崎市幸区

・平間山 称名寺(しょうみょうじ) 真宗大谷派 神奈川県川崎市幸区下平間183称名寺の源流は、天長9年(831)空海(弘法大師)の弟子弘海が現在地に草庵を建立したことに始まります。以来、寺号を大悲山普門寺と称し真言宗の寺として経過。永仁5年(1297)13代忍峯阿闍梨は本願寺2世如信の弟子となり、法名如海を賜ります。この時、宗旨を浄土真宗に改宗し、以後寺号を平間山称名寺と称しています。(リンク先より) << 戻る
便り

円満寺-神奈川県横浜市西区

・円満寺ホームページ 天台宗 神奈川県横浜市西区久保町50-1当山は天台宗本山別格阿富貴山安禅院円満寺と号し、天台宗山門派延暦寺末、本山別格の寺院である。安禅院は元は比叡山延暦寺の一坊で、東塔北谷に位置していた。寺院明細帳によると、延暦十三年九月の創建で大教院と号し、延喜元年、宇多法皇が比叡山に行幸の際には御座所にあてられたことがある。(リンク先より)※延暦十三年 794年 << 戻る
便り

影向寺-神奈川県川崎市宮前区

・稲毛薬師 威徳山 影向寺 天台宗 神奈川県川崎市宮前区野川419当山は天台宗に属し、奈良時代の天平12年(740)、聖武天皇の命令を受けた高僧・行基によって開創されたと伝えられていますが、近年の発掘調査の結果、創建の年代は白凰時代末期(7世紀末)にまで遡ることが明らかになりました。最古の縁起によれば、天平11年(739)光明皇后が眼病を患った折、聖武天皇の御夢の中に一人の僧が現れ、「武蔵の国橘樹郡橘郷に霊地があって、その地に不思議な霊石があります。その石の上にはいつも聖浄比なき水が湛えてあります。此処に伽藍を建立し、薬師如来を安置し奉るならば、皇后の御悩み立ちどころに御平癒となるでありましょ...
便り

杉本寺-神奈川県鎌倉市

・杉本寺 公式サイト 天台宗 神奈川県鎌倉市二階堂903当山は天平(てんぴょう)6年(734年)聖武天皇の后である光明皇后の御願により、藤原房前(ふじわらのふささき)、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって建立されました。御本尊は天平6年(734年)行基菩薩御作(ぎょうきぼさつおんさく)、仁寿元年(851年)慈覚大師円仁御作(じかくだいしえんにんおんさく)、寛和(かんわ)2年(986年)恵心僧都源信御作(えしんそうずげんしんおんさく)の三体の十一面観音様です。(リンク先より) << 戻る
便り

神武寺-神奈川県逗子市-観蔵院

・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市桜山5-6-1・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市沼間2-1402醫王山来迎院と号する神武寺は、神亀元年(七二四)正月、聖武天皇の命により 行基菩薩が十一面観音・薬師如来・釋迦如来の尊像を彫刻・奉安し、玉体安穏・萬国和平・萬民豊楽の祈祷道場として開山された寺院です。(リンク先より) << 戻る