石川県(高野山真言宗)

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伏見寺-石川県金沢市

・伏見寺 高野山真言宗 石川県金沢市寺町5-5-28ご本尊様は芋掘藤五郎がつくりましたが、次に仏像に御魂を入れなければなりません。これを開眼供養といいますが、藤五郎は僧侶ではありませんので、探さなければなりません。ちょうどその頃、この地に大和の高僧行基菩薩が来ていました。これ幸いということで、お願いして見事ご本尊様の眼が開かれたのであります。この由縁がら山号を行基山にしたといわれています。(リンク先より) << 戻る
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観音院-石川県金沢市

・観音院 高野山真言宗 石川県金沢市東山1-38-1卯辰山入口にある観音院は,1200年の歴史をほこる御本尊木造十一面観菩薩をまつり、金沢の発詳にちなむ「芋掘り籐五郎」伝説として有名な歴史的由緒をもっています。(リンク先より) << 戻る
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宝泉寺-石川県金沢市

・宝泉寺 高野山真言宗 石川県金沢市子来町57加賀藩主前田利家公の守本尊秘仏「摩利支天」をおまつりする金沢市宝泉寺のホームページです。摩利支天信仰の押さえどころや住職のライフワークである護摩について、わかりやすく編集して紹介していきます。(リンク先より) << 戻る
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真長寺-石川県金沢市

・真長寺 高野山真言宗 石川県金沢市野町1-2-2※掲載内容の再確認をしたところ表示できなかったためリンクを外しています(2019年12月)(旧アドレス:)。 << 戻る
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愛染寺-石川県加賀市

・愛染寺 高野山真言宗 石川県加賀市片山津温泉11-3-5愛染寺の興りは六百年以上前。かつては「愛染坊」と称し、兼六園近くに建立されていました。慶長年間、卯辰山に新寺を建立するにあたり、寺号を廃止し仏像などを譲ったと云われております。1649年(慶安2年)には加賀藩五代藩主・前田綱紀公が当山の再興を発願。「鎮護山 愛染院」として再建され、以来、前田家の安産祈願所とされました。(リンク先より) << 戻る
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平等寺-石川県鳳珠郡

・平等寺 高野山真言宗 石川県鳳珠郡能登町字寺分2字116和住山平等寺は、十世紀の中頃荘園の宮寺として創建され、以後千年余り法燈が守られてきた高野山真言宗のお寺です。武士の台頭により、荘園の衰退と共に平等寺は和住の本郷(能登町字上町)を追われ、天正十一年(1583)に応清法印が現在地に再興されました。(リンク先より) << 戻る
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波着寺-石川県金沢市

・波着寺 高野山真言宗 石川県金沢市石引2-18-1創建は神亀年間(724~729年)。白山信仰の寺として栄える。高野山真言宗の寺院。加賀初代藩主前田利家が越前府中に在城時、祈願所にした縁で、1619年(元和5年)加賀3代藩主前田利常の時、現在地に移転された。江戸時代には、1万坪の境内地があったが、現在も白山町として地名が残る。山号は泰澄山と言うが、白山あるいは白流山とも号している。本堂には白山の扁額が掛けられている。加賀騒動の大槻伝蔵が、小坊主の頃当寺に預けられていた。(リンク先より) << 戻る
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倶利伽羅不動寺-石川県河北郡

・倶利伽羅不動寺 高野山真言宗 石川県河北郡津幡町倶利伽羅リ-2倶利迦羅山不動寺は、今から約1,300年前の養老二年(718)、中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王の姿を彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まりと伝えられています。それから約100年後の弘仁三年(812)に、弘法大師が諸国を巡る途中で、不動明王を拝され、あまりの有難さに扉を閉められ、本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立(おまえだち)の不動尊として奉安されました。この時、別当山として長楽寺が開山されたといわれています。(リンク先より) << 戻る
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那谷寺-石川県小松市

・那谷寺 高野山真言宗 石川県小松市那谷町ユ-122養老元年(717年)に泰澄が那谷寺を創建したと伝えられています。ここでは那谷寺の歴史に関わった人を紹介します。(リンク先より) << 戻る