大阪府(高野山真言宗)

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総持寺-大阪府茨木市

・総持寺 高野山真言宗 大阪府茨木市総持寺1-6-1・第二十一番 ⇒ 西国三十三所 第二十二番 補陀洛山 総持寺 ⇒ 第二十三番<< 戻る
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久安寺-大阪府池田市

・久安寺 高野山真言宗 大阪府池田市伏尾町697大阪府池田市にある高野山真言宗の寺院です。725年、行基菩薩による開創。関西花の寺霊場第12番札所。西国薬師霊場第18番札所。摂津国大師霊場第67番札所。摂津国観音霊場第19番札所。楼門と阿弥陀如来像は国指定重要文化財。本尊は千手観世音菩薩。境内のもみじの紅葉、紫陽花、つつじ、牡丹、蓮、などが人気。(リンク先より) << 戻る
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龍眼寺-大阪府大東市

・生駒山 龍眼寺 高野山真言宗 大阪府大東市龍間37-3当山の開基、妙久法尼は四国巡錫の砌、虚空蔵菩薩様が現れ、「生駒の山に龍の住む山あり。供養すべし」と霊示をうけ、生駒の山に登りこの竜間の地にたどり着きました。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-大阪府和泉市

・無量山 西福寺 高野山真言宗 大阪府和泉市黒石町598古くは1360年あまり前にさかのぼります。それは、かつてこの桑原の地にあった仏性寺(西福寺の前身)において、沙弥道行という僧侶が、度々起こる落雷による被害を無くすために「大般若経」を写経し、熱心に落雷防止を祈願したという記述が残っております。(リンク先より) << 戻る
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全興寺-大阪府大阪市平野区

・全興寺公式HP 高野山真言宗 大阪府大阪市平野区平野本町4-12-21今から千四百年前の昔、聖徳太子が、平野の野中の地に小宇を建立して薬師如来の像を安置されたと、寺伝にあり、これが全興寺の草創です。その薬師堂からしたいに町が形づくられ「平野」発祥の地とも言われています。(リンク先より) << 戻る
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帝釈寺-大阪府箕面市

・帝釈寺のホームページ 高野山真言宗 大阪府箕面市粟生外院2-14-11古義真言宗高野山金剛峯寺末流なり。外院の里にあり。人皇34代推古天皇の御宇、聖徳太子の創立なり。(リンク先より) << 戻る
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金剛閣-大阪府大阪市阿倍野区

・金剛閣 高野山真言宗 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋4-7-9弘法大師(お大師さま)を宗祖とし、高野山 金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗のお寺です。ご本尊は『薬師如来』です。ご本尊を拝むときは『オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ』とお唱えします。(リンク先より) << 戻る
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法案寺-大阪府大阪市中央区

・法案寺 高野山真言宗 大阪府大阪市中央区島之内2-10-14<< 戻る
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自性院-大阪府大阪市中央区

・自性院 高野山真言宗 大阪府大阪市中央区中寺1-4-18<< 戻る
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国分寺-大阪府柏原市

・国分寺 高野山真言宗 大阪府柏原市国分東条町29-1・山城 ⇒ 畿内 河内 国分寺 ⇒ 和泉<< 戻る
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国分寺-大阪府和泉市

・国分寺 高野山真言宗 大阪府和泉市国分町627・河内 ⇒ 畿内 和泉 国分寺 ⇒ 摂津<< 戻る
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家原寺-大阪府堺市西区

・家原寺 高野山真言宗 大阪府堺市西区家原寺町1-8-22「智恵の文殊さん」として知られ、別名「落書き寺」としても有名。行基菩薩が誕生した所で、行基37歳の時(慶雲元年)「もとの生家を掃き清めて仏閣となす」と「行基年譜」に記される。行基建立寺院の第一号であるが、いわゆる行基建立四十九院には含まれず、特別扱いされている。叡尊が寛元三年(1245)再興し、行覚が正和五年(1316)菅原寺(大和)の本記をもとに「行基菩薩行状絵伝」(絹本着色、三幅、重要文化財)を描かせて行基を顕彰し行基信仰を推進した。(リンク先より) << 戻る
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常光円満寺-大阪府吹田市

・常光円満寺 高野山真言宗 大阪府吹田市元町28-13常光円満寺は735年、行基という僧によって開山された由緒あるお寺です。最盛期は数万坪という広大な寺領荘園をもち足利将軍や名将吹田氏が自らの菩提寺として深く信仰されていたとのことですが、応仁の乱の兵火によって全焼。寺領荘園の全てを失ってしまうのです。(リンク先より) << 戻る
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興徳寺-大阪府大阪市天王寺区

・興徳寺 高野山真言宗 大阪府大阪市天王寺区餌差町2-17聖徳太子存世中に今の法円坂付近に「薬師院」として創建され、天平年間(729~749)に行基菩薩によって再建された畿内49ケ院のひとつと言われていますが、第二次世界大戦の大阪大空襲にて現在の山門以外の諸堂を焼失したため詳細は不明です。(リンク先より) << 戻る
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勝尾寺-大阪府箕面市

・勝尾寺 高野山真言宗 大阪府箕面市粟生間谷2914-1・第二十二番 ⇒ 西国三十三所 第二十三番 応頂山 勝尾寺 ⇒ 第二十四番創建は神亀四年(727)、善仲、善算の双子兄弟が草庵を構え修業されたことに始まる。そののち天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子開成が二師出逢い止住し、宝亀六年(775)七月十三日般若台に大般若経六百巻を理経して一寺を建て、彌勒寺と号し、開山に至る。(リンク先より) 開山堂には、善仲、善算と開成皇子の木像が安置され、毎年十月二十九日は宮内庁と本寺で御正辰祭が勤められる。また彌勒寺当時、本堂のあった場所は、いま彌勒菩薩の大仏が大阪平野を見下ろし鎮座されている。宝亀十一...
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観心寺-大阪府河内長野市

・観心寺・公式ホームページ 高野山真言宗 大阪府河内長野市寺元475観心寺は、文武天皇の大宝元年(701年)、役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていた。その後、平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年) 衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改称される。(リンク先より) << 戻る