真言宗豊山派

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真照院-千葉県千葉市若葉区

・真照院 真言宗豊山派 千葉県千葉市若葉区谷当町63<< 戻る
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泉蔵寺-千葉県千葉市若葉区

・泉蔵寺 真言宗豊山派 千葉県千葉市若葉区北谷津町72<< 戻る
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大草寺-千葉県千葉市若葉区

・大草寺 真言宗豊山派 千葉県千葉市若葉区大草町320<< 戻る
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慈眼寺-千葉県千葉市若葉区

・慈眼寺 真言宗豊山派 千葉県千葉市若葉区下田町211<< 戻る
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金光院-千葉県千葉市若葉区

・金光院 真言宗豊山派 千葉県千葉市若葉区金親町959<< 戻る
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西光寺-千葉県千葉市若葉区高根町

・西光寺 真言宗豊山派 千葉県千葉市若葉区高根町680<< 戻る
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国分寺-東京都国分寺市

・国分寺 真言宗豊山派 東京都国分寺市西元町1-13-16・相模 ⇒ 東海道 武蔵 国分寺 ⇒ 安房奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国分寺の後継寺院にあたります。山号は医王山。院号は最勝院。本尊は薬師如来。<< 戻る
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国分寺-千葉県市原市

・国分寺 真言宗豊山派 千葉県市原市惣社1-7-23・安房 ⇒ 東海道 上総 国分寺 ⇒ 下総医王山清浄院国分寺<< 戻る
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国分寺-千葉県市川市

・国分寺 真言宗豊山派 千葉県市川市国分3-20-1・上総 ⇒ 東海道 下総 国分寺 ⇒ 近江<< 戻る
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国分寺-栃木県下野市

・国分寺 真言宗豊山派 栃木県下野市国分1541・上野 ⇒ 東山道 下野 国分寺 ⇒ 陸奥山号は瑠璃光山。院号は安養院。本尊は大日如来。奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、下野国国分寺の後継寺院にあたる。<< 戻る
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蓮花院-群馬県高崎市

・蓮花院 真言宗豊山派 群馬県高崎市下小鳥町53-2蓮花院は、真言宗のお寺です。真言宗は、平安時代に弘法大師によって開かれました。蓮花院の本尊様は阿弥陀如来です。(リンク先より) << 戻る
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円照寺-東京都新宿区

・円照寺 真言宗豊山派 東京都新宿区北新宿3-23-2写真家の篠山紀信は篠山明信住職の次男。1944年、4歳の時、篠山明信住職が戦死してしまいますが、高校時代まで生家の円照寺で過ごしました。当山は、正式な名称を医光山瑠璃光院圓照寺といい、平安末期、関東一帯で起こった「平将門の乱」を平定した伝説の武将、藤原秀郷によって建立されました。本尊には、奈良時代の名僧、行基菩薩によって手彫りされたと伝えられる薬師如来像が安置されております。また、昔より桜の御寺として名高く、境内に植えられていた「右衛門桜」は、“江戸の三桜”に数えられ、当時の観光地として賑わったと記録されています。残念ながら右衛門桜は太平洋...
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密厳寺-北海道余市郡

・密厳寺 真言宗豊山派 北海道余市郡余市町大川町10-17明治三十一年開山、米沢から来道し庵を結ぶ普及所となる。 昭和十一年に本堂を再建し、寺号公称する。総本山は長谷寺。ご本尊は十一面観音、秘佛歓喜天、大日如来、脇には大聖不動明王。(リンク先より) << 戻る
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天明寺-群馬県前橋市

・天明寺 真言宗豊山派 群馬県前橋市池端町645当寺は江戸中期の天明年間〔1781~1788〕に開創されたことにより天明寺と名づけられたと伝えられておりますが、実際には歴代住職の墓誌に「恵弁 貞享三丙寅天三月廿三日」とあります。このことから推測すると貞享三年〔1688〕には小さな庵を掬んでひっそりと仏道を歩んでいたのかもしれません。(リンク先より) << 戻る
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全性寺-群馬県太田市

・全性寺 真言宗豊山派 群馬県太田市大原町371宮林山 全性寺(ぐうりんざん ぜんしょうじ)と読みます。本堂に御本尊 大日如来をおまつりしております。 貞享4年3月21日(1687年)、新田郡新田町の大慶寺第十五世 住職教寛の弟子で全性法印(舜祐和尚)によって開基されました。(リンク先より) << 戻る
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宝泉寺-埼玉県所沢市

・北田山宝泉寺 真言宗豊山派 埼玉県所沢市北岩岡130山号を北田山(ほくでんざん)、院号を長寿院と称します。開山は天和3年(1683年)と伝えられていますが、150年もの長い年月に渡り住職不在のお寺だったこともあり、残念ながら過去の記録がほとんど残っていません。(リンク先より) << 戻る
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護國寺-東京都文京区

・護国寺 真言宗豊山派 東京都文京区大塚5-40-1天和元年(1681)、江戸幕府5代将軍徳川徳川綱吉が生母・桂昌院の発願により新義真言宗・亮賢を開山に迎え創建しました。<< 戻る
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東光寺-東京都中野区

東光寺 真言宗豊山派 東京都中野区上高田5-21-5寺院内にある寛文3(1663)年に作られた庚申塔は、地蔵と共に、中野区登録有形文化財になりました。また、豊島八十八ヶ所霊場87番札所となってます。平成26年2月、中野区認定観光資源に認定されました。創建年代は不明ですが、1933年(昭和8年)の本堂改築の際に、「元禄三年五月八日三世満盛建之」と書かれた棟札が発見されています。 << 戻る
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壽徳寺-福島県耶麻郡

・壽徳寺 真言宗豊山派 福島県耶麻郡猪苗代町山潟字村上2540「永正年中、雲の間から熊野本宮の牛王が飛びこみ、随喜のあまり薬師の像を彫った。牛王を薬師の胎内の中に封じ、寺を建てて安置し、時宗の僧金蔵を住持とした。寛永年中、真言の僧秀海が来て田子山寿徳寺と号し、若松台町(現在の会津若松市内)延寿院の末山となった」とされる 『新編会津風土記』より(リンク先より)※寛永年中 1624年から1645年 << 戻る
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長命寺-東京都練馬区

・東高野山 長命寺 真言宗豊山派 東京都練馬区高野台3-10-3当寺院は、慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である増島重明(北条早雲のひ孫にあたる。のちに出家して慶算阿闍梨になる)によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりといわれている。その後寛永17年(1640年) 奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、「長命寺」の称号を得る。(リンク先より) << 戻る
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実相寺-群馬県邑楽郡

・実相寺 真言宗豊山派 群馬県邑楽郡板倉町板倉甲1678慶長14年(1609年)徳川2代将軍秀忠公による伊奈良沼の白鳥鉄砲狩りの為、沼のほとりにある実相寺外農家18軒が移転した。これより遡る事11年、慶長3年あの栄華を極めた豊臣秀吉が五大老(徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家)に秀頼を託し死去。秀吉の願いとは裏腹に、死去して2年後の慶長5年に関ヶ原の役起こり、東軍(徳川方)は西軍(石田光成方・実質は秀頼方)を破る。(リンク先より) << 戻る
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常性寺-東京都調布市

・調布不動尊常性寺 真言宗豊山派 東京都調布市国領町1-2-8常性寺は、正式には「医王山長楽院常性寺」と称し、鎌倉時代に創建された由緒ある真言宗豊山派の寺院です。往古は多摩川沿いに壮麗な諸堂が建立されていましたが、安土桃山時代の慶長年間に旧甲州街道沿いの現在地に移築させられました。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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長遠寺-山形県長井市

・長遠寺 真言宗豊山派 山形県長井市館町北10-49-12彌陀三尊懸佛 室町時代末期に作られたもので、直径二十八センチ青銅の懸佛で、中央の蓮華座に阿彌陀如来と左右に観音菩薩とが浮き彫りになっている。裏には、天正十二年輝宗と刻記されている。(リンク先より)※天正十二年 1584年 << 戻る
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金蔵院-栃木県佐野市

・金蔵院 真言宗豊山派 栃木県佐野市越名町426安土桃山時代初期(1570年代)天正年間初期安養坊法師と須藤六右衛門正行(唐沢城佐野家々臣)の尽力により「医王山金蔵院薬師寺」として開山され、「薬師如来」をご本尊として祀りました。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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金性寺-福島県南相馬市

・金性寺 真言宗豊山派 福島県南相馬市小高区仲町1-89当寺の創建は古く、小高城主第十五代相馬盛胤公夫人の掛田御前(掛田城主掛田義宗の娘)は永禄十二年(一五六九)十月二十二日逝去。盛胤公が夫人「金室妙仲大禅定尼」の冥福を祈るため、同年十二月小高村堂前(現在の小高町小高字堂前)に錦繍寺を建て、霊牌を安置したことによる。(リンク先より) << 戻る
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慎福寺-三重県鈴鹿市

・慎福寺 真言宗豊山派 三重県鈴鹿市神戸2-19-8寺伝によると、永禄2年(1559年)法印紹盛上人の開基と伝わり、往時は七堂伽藍を備え、神福寺と称していました。のちに神戸城主織田信孝の祈願寺とされ、寺領六百六十石を受領し栄えたものの、江戸時代の大地震により焼失し、その後再建されて明治の廃仏毀釈の際に寺名を慎福寺と改称したと伝わっています。(リンク先より) << 戻る
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普門寺-埼玉県八潮市

・普門寺 真言宗豊山派 埼玉県八潮市南川崎440永禄年間(1558~1570)に開創され、開山から現住職までに29世を数える古いお寺で、真言宗豊山派に属しています。開創当時は、現在の埼玉県八潮市木曽根という場所にありましたが、埼玉県から東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川 中川の改修事業への協力の為、昭和59年に、現在の八潮市南川崎の地へ移転しました。(リンク先より) << 戻る
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教深寺-愛媛県伊予郡

・教深寺 真言宗豊山派 愛媛県伊予郡松前町大間330開基、由来については、諸説があって確定し難い。文亀二年(一五〇二)金蓮寺七末寺の一寺として建立されたとも伝えられ、また明治初年の「寺院取調」によると、延宝七年(一六七九)仁良和尚の開山とも記され、当寺に伝わる「萬記録」によれば、享保一〇年(一七二五)開基とも記録されている。(リンク先より) << 戻る
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安福寺-茨城県つくば市

・安福寺 真言宗豊山派 茨城県つくば市西大橋459寺伝によると当山は鎌倉時代中期に創建され、中興第一世は永国大聖寺住職第六世の弟子、良栄が文明元年に再興し大伽藍を建立したが元禄年間に焼失、のちに再建し大師信仰の中心地として今に至る。当山名称は金剛山無量寿院安福寺と申し真言宗豊山派に属する古刹であります。(リンク先より)※文明元年 1469年 << 戻る
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浄光寺-長野県上高井郡

・浄光寺 真言宗豊山派 長野県上高井郡小布施町雁田676浄光寺は国の重要文化財にしていされている薬師堂(室町初期1408年建立)があり、2008年で建立満六百年を迎えました。今では基調な茅葺屋根も2007年に葺き替え工事を行い綺麗になりました。また縁結びのお薬師さんとしても親しまれ若い男女も多く訪れています。(リンク先より) << 戻る
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報恩寺-千葉県野田市

・野田厄除大師大師山報恩寺 真言宗豊山派 千葉県野田市中野台651-1報恩寺は応永二年(1395)宥譽上人の開創と伝えられておりますが、下寺であった堤台地蔵尊の本尊の台座にその年代が彫られていることがその根拠となっております。もともと野田市堤台にあって堤台八幡神社の別当として、江戸時代には末寺二十四ヶ寺を有する本寺として、徳川幕府より御朱印状五石を拝領しておりました。(リンク先より) << 戻る
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円泉寺-東京都世田谷区

・円泉寺 真言宗豊山派 東京都世田谷区太子堂3-30-8聖王山法明院円泉寺の草創は、遅くとも 南北朝時代 末期(~1392)のころには、太子堂ならびに小堂(円泉寺前身・円泉坊)が結ばれていたものと推察され、 文禄4年(1595)、 賢惠(けんけい)大和尚によって中興がなされました。(リンク先より) << 戻る