真言宗智山派

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川崎大師(平間寺)-神奈川県川崎市川崎区

・川崎大師(平間寺) 真言宗智山派 神奈川県川崎市川崎区大師町4-48崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。(中略)兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。それは、大師の尊いお像でした。兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養をおこたりませんでした。その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、...
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六波羅蜜寺-京都府京都市東山区

・六波羅蜜寺 真言宗智山派 京都府京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町・第十六番 ⇒ 西国三十三所 第十七番 補陀洛山 六波羅蜜寺 ⇒ 第十八番六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。 当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963...
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大安楽寺-長野県松本市

・大安楽寺 真言宗智山派 長野県松本市女鳥羽2-5-8大安楽寺は延長2年(924年)一条修理太夫が当地におもむき、庶民の福祉を念じ大護摩祈願を厳修、現在の御徒士町に安原山「安楽寺」と称し行基菩薩により開山されました。 後に永正元年(1504年)島立右近が松本城建築に際し、東北東鬼門の方角に当る松本城鬼門除守護の霊刹とし七堂伽藍を再建しました。(リンク先より)<< 戻る
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泉福寺-栃木県日光市

・泉福寺 真言宗智山派 栃木県日光市猪倉2733815(弘仁6)年 弘法大師空海上人が薬師如来を刻し草庵を結び、東光院と名付けたのを開創としています。その時当地は未曾有の大旱魃に見舞われており大師はこれを憐れみ山頂の大穴に穴を穿ち 仏舎利一粒を沈め、請雨法を修したところ忽ちに雨を呼び旱魃の苦を救われたとの伝えがあります。(リンク先より) << 戻る
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前山寺-長野県上田市

・前山寺 真言宗智山派 長野県上田市前山300独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間、奥行八間の木造萱葺。弘仁年中(812)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられている。当初古義真言宗として法相、三論両宗を兼ねていたが、元弘年中(1331)讃岐国善通寺より長秀上人が来止し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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弘仁寺-新潟県佐渡市

・弘仁寺 真言宗智山派 新潟県佐渡市羽茂本郷四四四八乙佐渡国弘仁寺の開基は人皇五十二代嵯峨天皇の御代、弘仁二年(811年)の事である。この年の三月、空海は帝の「夷狄を教化し霊地を開いて欲しい」との御勅願により、北国へ布教の旅に出たのである。(リンク先より) << 戻る
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菩薩寺-新潟県佐渡市

・菩薩寺 真言宗智山派 新潟県佐渡市新穂田野沢383田野沢地区に大同四年開基の菩薩寺と天福元年開基の圓蔵坊があったが、明治十一年合併となる。大正年間、本堂・庫裡とも火災に遭い全焼となり復興する。平成二十年檀家の厚い御寄附により本堂の増築・客間の新築を行った後、境内の造園にもとりかかり、現代に到っている。(リンク先より)※大同四年 809年 << 戻る
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塩澤寺-山梨県甲府市

・塩澤寺 真言宗智山派 山梨県甲府市湯村3-17-2大同三(八〇八)年、真言宗の祖、弘法大師(空海上人)衆生救済のため諸国行脚されたおり、当地にて厄除地蔵大菩薩の霊験感ぜられて、大師自ら、六寸(二十センチ)あまりの座像を彫刻され、その尊像をご開眼されたのが、当山の始まり(開創)です。(リンク先より) << 戻る
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国分寺-高知県南国市

・國分寺 真言宗智山派 高知県南国市国分546・28番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第29番札所 摩尼山 宝蔵院 国分寺 ⇒ 30番札所・伊予 ⇒ 南海道 土佐 国分寺 ⇒ 筑前「諸国で最も良い土地を選んで建てよ。」という45代聖武天皇の勅願(みことのり)によって、高僧行基(西暦668~748年)が天平13年(西暦741年)に創建しました。天皇自らが金光明最勝王経を書写して納められ、天下泰平、五穀豊穣、万民豊楽を願う祈願所として、金光明四天王護国之寺とも呼ばれてきました。後に弘法大師(空海 西暦774~835年)が真言宗の寺として中興し、四国八十八ケ所巡りの第二十九番霊場となり、お遍路さんの鈴の音...
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錫杖寺-埼玉県川口市

・錫杖寺 公式サイト 真言宗智山派 埼玉県川口市本町2-4-37天平十二年(740)聖武天皇、霊告によって、御后の病平癒祈祈祷のため、僧・行基を武州川口村に遣わす。(『慈林略縁起』) このおり、僧・行基によって錫杖寺の現在地に草庵が結ばれたと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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乙宝寺-新潟県胎内市

・乙宝寺 真言宗智山派 新潟県胎内市乙1112当山は天平八年(七三六年)聖武天皇の勅願を受けて行基菩薩、婆羅門僧正の二人の高僧によって開山されました。七堂伽藍の中心、金堂には胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、薬師如来の三尊が当山の本尊としておまつりされています。婆羅門僧正は名を菩提僊那(ぼだいせんな)と言って印度より渡来した高僧で、その際に釈尊の両眼の舎利を請来されました。右眼のお舎利は日本へ渡来する前に中国へ渡りお寺を建ててそれを納め供養しました。そして日本へ渡来し、聖武天皇の勅願を受けて建てたお寺に左眼の舎利を納めて供養をしました。(リンク先より) << 戻る
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海住山寺-京都府木津川市

・海住山寺 真言宗智山派 京都府木津川市加茂町例幣海住山20海住山の中腹、幽邃の地に、当海住山寺が創建されたのは、恭仁京造宮にさきだつ六年前、天平七年(735)のことと伝えられております。大盧舎那仏造立を発願あそばれた聖武天皇が、その工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と名づけたのに始まるということです。(リンク先より) << 戻る
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醫王寺-静岡県磐田市

・醫王寺 真言宗智山派 静岡県磐田市鎌田2065-1天平6年〜20年(734〜748)聖武天皇の勅命を奉じて、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が当地を訪れ、この地に薬師如来の霊験ありとし、山内の名木で薬師如来の尊像を一刃三礼のもとに敬刻、ご本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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西生寺-新潟県長岡市

・西生寺 真言宗智山派 新潟県長岡市寺泊野積8996開山  天平5年(西暦733年)開祖  行基菩薩(ぎょうきぼさつ)御本尊 上品上生阿弥陀如来仏(じょうぼんじょうしょうあみだにょらいぶつ)真言  オンアミリタテイセイカラウン(リンク先より) << 戻る
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竹林寺-高知県高知市

・竹林寺 真言宗智山派 高知県高知市五台山3577・30番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第31番札所 五台山 金色院 竹林寺 ⇒ 32番札所竹林寺は、神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願を奉じた行基により唐の五台山(ごだいさん)になぞらえ開創されました。(リンク先より) << 戻る
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大蔵経寺-山梨県笛吹市

・大蔵経寺 真言宗智山派 山梨県笛吹市石和町松本610松本山大蔵経寺(しょうほんざんだいぞうきょうじ)は奈良時代養老6年(722年)に法相宗の行基菩薩を開祖として創建されたと伝えられています。 往古は菩提山長谷寺(ぼだいさんちょうこくじ)の本坊で、松本寺と呼ばれており、山内に物部神社を勧請し、大寺院であったようです。応安年間(南北朝時代)足利三代将軍義満の庶子、観道上人(かんどうしょうにん)が中興開山として入山するにあたり、義満公が甲斐の守護武田信成に命じて七堂伽藍を建立させました。この時より武田家祈願寺になっています。(リンク先より)<< 戻る
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大善寺-山梨県甲州市

・大善寺 真言宗智山派 山梨県甲州市勝沼町勝沼3565養老二年(AD718)僧行基が甲斐の国を 訪れた時、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に、手に葡萄を持った薬師如来が現れました。(リンク先より) << 戻る
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大福寺-千葉県館山市

・大福寺 真言宗智山派 千葉県館山市船形835この観音堂の本尊は、十一面観世音菩薩で船形山の崖の中腹にある祠に刻まれています。この本尊は、養老元年(717年)に行基(668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。その後、慈覚大師(794~863年)が当地に来錫した折に堂宇が創建されたと言われています。(リンク先より) << 戻る
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福石観音清岩寺-長崎県佐世保市

・福石観音清岩寺 真言宗智山派 長崎県佐世保市福石町24-5元明天皇の和銅三年(西暦710年)名僧行基(ぎょうき)が諸国行脚の途中、福石山の霊境を訪ねて嘆賞し、しばしの間草庵を結んだと伝わっております。この時たまたま東乃浦の海に霊光を放つ仏木を発見して、これで三体の仏像を刻んだとのことです。世に言う、行基一刀三霊の作で、その中の「十一面観世音菩薩像」をここの岩窟に安置しました。これが福石観音の始まりで、ご本尊を安置してある内殿を、行基岩と呼んでおります。(リンク先より) << 戻る
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油山寺-静岡県袋井市

・油山寺 真言宗智山派 静岡県袋井市村松1遠州三山の一つ医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)は、大宝元年(701)に行基大徳によって開山された真言宗のお寺です。全ての人の穏やかな暮らしと無病息災を祈り、行基大徳は本尊の薬師如来を奉安されました。油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに由来しています。(リンク先より) << 戻る
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小松寺-千葉県南房総市

・小松寺開基1300年WEB 真言宗智山派 千葉県南房総市千倉町大貫1057文武天皇の御代(683~707年)に役小角〔えんのおづぬ=役行者〕によって小さな庵が建てられる。その庵は、養老2年(718年)に一間四面のお堂に建て替えられ、寺名を『巨松山檀特寺』とする。※本格的な寺院として整備される以前から、山岳修行者の信仰を集める霊地であった。天長8年(831年)慈覚大師により堂塔が建て替えられ、山王権現が祀られる。(リンク先より) << 戻る