真言宗智山派

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大覚寺-群馬県高崎市

・大覚寺 真言宗智山派 群馬県高崎市石原町1992‐10当寺院大覚寺は真言宗智山派に属し、古くは西遊記で有名な玄奘三蔵法師が奉られております。また、三蔵法師ゆかりの中国西安市大慈恩寺と友好寺院締結もしております。平成19年に当寺院住職の川﨑弘悠は日本人で初めて玄奘三蔵法師伝承法名勤脩いたしました。(リンク先より) << 戻る
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圓福寺-新潟県長岡市

・圓福寺 真言宗智山派 新潟県長岡市川袋町989当山は1300年ほどの歴史があり、御本尊大日如来は慈覚大師円仁(794-864年)作です。現在地には350年前に蓮乗ヶ原から移転し、芹川町には圓福寺屋敷があったそうです。本堂は昭和50年、薬師堂は昭和59年に再建されたものです。(リンク先より) << 戻る
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龍王院-佐賀県三養基郡

・龍王院 真言宗智山派 佐賀県三養基郡上峰町堤1903当成田山龍王院はこの大本山成田山新勝寺の佐賀県唯一の末寺として、昭和四十年に地元の熱誠信徒の懇請により、ご本尊不動明王のご分霊を上峰の地に奉安し、佐賀成田山と親しまれ、不動尊霊場として今日に至っている。(リンク先より) << 戻る
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宝光寺-北海道斜里郡

・宝光寺 真言宗智山派 北海道斜里郡斜里町本町15-7大正7年、 初代住職である中川隆潮師が5月9日98坪の土地に教会所として本堂と庫裡を 建立する。昭和6年、 宝光寺創立の許可を北海道庁長官より得る。昭和7年、 創立完了。寺号公称して正式に「宝光寺」となる。(リンク先より) << 戻る
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青森寺-青森県青森市

・青森寺 真言宗智山派 青森県青森市栄町1-4-24明治二十一年、中村浄了師が結成した成田山新勝寺に参拝することを目的とした「成田講」の信徒が中心となり、青森市青柳に不動堂を建立したのが当山の始まりです。同二十三年に新勝寺の御分霊を不動堂に奉安し青森成田山と称しました。(リンク先より) << 戻る
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水上寺-群馬県利根郡

・水上寺 真言宗智山派 群馬県利根郡みなかみ町湯原358当山、成田山水上寺は、西暦1888年・明治21年に千葉県成田市の真言宗智山派の大本山成田山新勝寺より勧請した不動明王をお祀り致しております。(リンク先より) << 戻る
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函館寺-北海道函館市

・函館寺 真言宗智山派 北海道函館市松風町15-17当山は、明治16年(1883)真言宗智山派大本山成田山新勝寺のご本尊大聖不動明王のご分霊を勧請し、明治29年(1896)開創され、成田山凾館寺(通称成田山凾館別院)と号します。昭和9年(1934)未曾有の業火凾館大火にて本堂・客殿・庫裡全てが烏有に帰し、昭和10年(1935)仮堂を建立。(リンク先より) << 戻る
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東光寺-宮城県名取市

・東光寺 真言宗智山派 宮城県名取市下増田字丁地233真言宗 智山派 東光寺の敷地には宝篋印塔があり、以前、増田後島と下増田本村の境近くにあったもので、現在の東光寺境内に移設されたと言われています。塔は、高さ234cmで、塔身部に「金剛界四仏」の種子(不空成就如来、阿弥陀如来、宝生如来、阿閃如来)と、基礎部に「宝篋印陀羅尼経」の経文を四面に彫られている供養塔です。寛延4年(1751)の銘があり、江戸中期の現存する宝篋印塔としては、県内でも大型な石造物となっています。(リンク先より) << 戻る
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吉祥院-埼玉県さいたま市北区

・雙樹山大恵寺吉祥院 真言宗智山派 埼玉県さいたま市北区宮原町4-29-4開山 正確には不詳。中興まで九世の返還有りという。中興開山 榮秀法印 寛永3年(1706)遷化(リンク先より) << 戻る
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長円寺-長野県茅野市

・長円寺 真言宗智山派 長野県茅野市玉川11373当山は慶安二年(1649)、武田慶尊法印が高野山金剛頂院の法流を相続して開山、要穴山胎蔵院長圓寺と号した。境内地は諏訪藩二代藩主諏訪忠恒公より新田村として開かれた穴山の地である。(リンク先より) << 戻る
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文殊院-茨城県かすみがうら市

・文殊院 真言宗智山派 茨城県かすみがうら市下志筑675慶安2年(1649)、宥圓上人が真言宗寺院として再興したことをもって中興開山としていますが、慶長7年(1602)の古文書に、常源寺(当院の正式名称は豊森山常玄寺文殊院)という名前があることから、真言宗になる以前の寺院があったと思われます。(リンク先より) << 戻る
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浄蓮院-群馬県邑楽郡

・浄蓮院 真言宗智山派 群馬県邑楽郡板倉町大曲1616浄蓮院の開山については不詳ですが、開山周應上人の位牌に寛永19年(1642年)とあるため、これ以前にさかのぼると思われます。(リンク先より) << 戻る
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円満寺-山形県新庄市

・円満寺 真言宗智山派 山形県新庄市五日町5914昔は、秋田県西仙北郡小杉村にありました。初代新庄藩主戸沢政盛公の国替えにより、常州松岡(茨城県高萩市)から、元和八年(1622年)に新庄に移ってきました。(リンク先より) << 戻る
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正源寺-埼玉県川口市

・正源寺 公式ホームページ 真言宗智山派 埼玉県川口市大字新堀934天命山 正源寺は慶長15年(1610)2月、法印宥慶開創で中興開山は源雅と伝わっております。 本堂は間口7間、奥行き6間の木造のお堂で平成7年に建てかえられたものであります。(リンク先より) << 戻る
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智積院-京都府京都市東山区

・智積院 真言宗智山派 京都府京都市東山区東大路通り七条下ル東瓦町964鎌倉時代の中頃に、頼瑜(らいゆ)僧正が出て、大伝法院を高野山から根来山へ移しました。これにより、根来山は、学問の面でもおおいに栄え、最盛時には、2900もの坊舎と、約6000人の学僧を擁するようになります。智積院は、その数多く建てられた塔頭(たっちゅう)寺院のなかの学頭寺院でした。 しかし、巨大な勢力をもつに至ったため、豊臣秀吉と対立することとなり、天正13年(1585)、秀吉の軍勢により、根来山内の堂塔のほとんどが灰燼に帰してしまいました。その時、智積院の住職であった玄宥(げんゆう)僧正は、難を高野山に逃れ、苦心のすえ、...
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薬研堀不動院-東京都中央区

・薬研堀不動院 真言宗智山派 東京都中央区東日本橋2-6-8天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、天正19年(1591)、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。(リンク先より) << 戻る
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法海寺-福島県いわき市

・法海寺
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常勝院-福島県いわき市

・常勝院 真言宗智山派 福島県いわき市平中平窪字岩間61開山 室町時代 享緑3年(1530年) 下好間大館開祖 見瑜上人は、岩城朝義4世、隆忠の孫である中山隆朝の一子(リンク先より) << 戻る
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満福寺-埼玉県幸手市

・幸手観音満福寺 真言宗智山派 埼玉県幸手市中4-14-34戦国時代末期、この地を治めていた一色氏の祈願所として秀栄和尚により観世音菩薩を奉遷し開基されたと伝えられています。1489年(延徳元年)の供養塔がありますので開山はその頃かとも推察されます。(リンク先より) << 戻る
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吉祥院-埼玉県川口市

・珍珠山・多聞寺・吉祥院 真言宗智山派 埼玉県川口市南町2-6-8珍珠山・多聞寺・吉祥院です。その歴史をさかのぼると今からおよそ550年前、1470年(文明2年)になります。この頃には荒川(旧入間川)の清域に堂宇が建立されていたと伝えられます。それから歳月の流れる中、末寺十一カ寺を有りし、鎮守には八幡社が勧請されておりました。(リンク先より) << 戻る
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正光寺-千葉県袖ヶ浦市

・お地蔵さんのお寺 正光寺 真言宗智山派 千葉県袖ヶ浦市蔵波1662延命山正光寺は、今を遡ることおよそ600年前、 應永6年(1399年)に、在原善政氏により創建されました。その後荒廃するも、元禄の頃 元清法印が中興開山し、以来師資相承され、またお寺の周辺袖ヶ浦市蔵波地域には、在原姓が多く、伝説では平安時代 六歌仙の一人で、 伊勢物語の主人公である在原業平の末裔とも語り継がれ、在原家の一族を中心にお寺が護持されて今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
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平福寺-長野県岡谷市

・平福寺 真言宗智山派 長野県岡谷市長地柴宮3-3-22彌林山平福寺は、弘法大師空海(774-835)の密教を擁護する道場として開創されました。その開基は不詳ですが、諏訪下神宮寺僧・憲明阿闍梨(?-1396)の中興とされ、隆盛時には伽藍七宇・門徒十一坊を有する大寺院であったとされます。また傍らに正八幡大菩薩の社があり、仏殿にはその本地仏・阿弥陀如来が安置されていました。(リンク先より) << 戻る
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瀧谷寺-福井県坂井市

・瀧谷寺 真言宗智山派 福井県坂井市三国町滝谷1-7-15南北朝時代の永和元(1375)年、睿憲上人によって開山されました。中世には、戦国大名の朝倉氏や柴田勝家、福井藩主の松平家、丸岡藩主の有馬家ら、歴代領主の祈願所として、当寺は篤い帰依と保護を受けました。(リンク先より) << 戻る
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圓應寺-山形県山形市

・圓應寺 真言宗智山派 山形県山形市宮町4-16-33延文元年(1356)、斯波兼頼公が山形城主として山形に入部の際、築城のしばしの間城の鬼門と言われる北東方角に位置した現在地に仮小屋を建て、弘法大師作と伝えられる、自身の兜の前立てとして付けていた聖観世音(五寸の黄金像)を、守護仏として奉安したことに始まる。(リンク先より) << 戻る
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管明寺-新潟県佐渡市

・管明寺 真言宗智山派 新潟県佐渡市上新穂659佐渡に流された順徳上皇の御安泰祈願のため、池蔵人の発願に依り、比叡山坂本の山王権現を勧請され十二坊を建立されました。この十二坊とは乗光坊、弥勒坊、曼荼羅寺、宝蔵寺、儀乗坊、三諦坊、金剛院、宝性院、円通寺・明王院・善意寺・万福寺で、日吉神社別当の新延寺(別当というのは室町時代までの大社に多くみられ、お宮の会計経理を行うお寺)の下の衆徒寺のことです。管明寺は、十二坊の三坊として天福元年に建設され、その後明治15年弥勒坊と乗光坊が合併、さらに昭和11年成就山乗光坊と管明山三諦坊が合併し、成就山管明寺と公称し現在に至っています。(リンク先より)※天福元年...
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東海寺-栃木県宇都宮市

・東海寺 真言宗智山派 栃木県宇都宮市篠井町827鎌倉時代の寛喜二年(1230年)小山城主朝比奈兼秀の孫和田新兵衛朝盛が出家し円覚に改め寺を開創した。(リンク先より) << 戻る
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大報恩寺-京都府京都市上京区

・千本釈迦堂 大報恩寺 真言宗智山派 京都府京都市上京区五辻通六軒町西入溝前町鎌倉初期安貞元年(1227)義空上人によって開創された寺です。本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも両陣営から手厚き保護を受け、奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されています。義空上人は、藤原秀衡の孫にあたり、19才で比叡山澄憲僧都に師事、拾数年ののちこの千本の地を得て、苦難の末本堂をはじめ諸伽藍を建立しました。(リンク先より) << 戻る
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総徳寺-栃木県那須郡

・昇覚院総徳寺 真言宗智山派 栃木県那須郡那珂川町大山田下郷1724真言宗智山派み属し、寶珠山 曻覺院 總徳寺という。本尊は不動明王を安置し鎌倉仏師運慶の作と伝えられる。1217 (健保5)年 光寶上人により開基。醍醐無量寿院の直末となる。八溝山周囲三県に渡り、末寺二十八ヶ寺を有す。江戸時代 水戸領となり、光圀公の時代寺社改革のため多数の寺が破却されるも存続を許される。(リンク先より) << 戻る
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蓮花院-埼玉県入間市

・蓮花院 妙智寺 【公式】 真言宗智山派 埼玉県入間市春日町2-9-1蓮花院は、世音山蓮花院妙智寺といい、真言宗智山派に属します。本尊は大聖不動明王ですが、武蔵野三十三観音霊場十八番札所本尊である、千手千眼観世音菩薩(通称は黒須観音)が特に有名です。境内には指定文化財の観音堂のほかに、位牌堂、大師堂、弁天堂、鐘楼、山門、庫裏等があります。建長元年(1201年)、歌人としても知られた寂蓮法師により開かれたといわれております。(リンク先より) << 戻る
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新大佛寺-三重県伊賀市

・新大佛寺 真言宗智山派 三重県伊賀市富永1238新大佛寺は、今から約800年前(1196年)後鳥羽法皇の勅願により、源頼朝公の協力を得て、国家の安泰と国民の幸せを祈る、一大祈願道場として又、東大寺伊賀別所として建立されました。ご本尊様は、快慶作の高さ約5メートル木彫大仏様(重要文化財)で、最初の上人様は俊乗房重源と申し、奈良東大寺を復興された上人様です。このことから、東大寺に敬意をはらって、寺号に「新」を加え、新大佛寺と名づけられました。(リンク先より) << 戻る
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放光寺-山梨県甲州市

・放光寺 真言宗智山派 山梨県甲州市塩山藤木2438元暦元年(1184)源平合戦で功績をたてた安田義定が一ノ谷の戦いの戦勝を記念して創立しています。義定は平家追討の功によって遠江国守に任命されて、のちに遠江国守護、禁裏守護など勤め鎌倉幕府創業に貢献しておりますが建久5年(1194)8月19日梶原氏らの謀反の嫌疑を受け当山において自刃したと伝えています。(リンク先より) << 戻る
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平等寺-京都府京都市下京区

・平等寺 真言宗智山派 京都府京都市下京区松原通烏丸東入因幡堂町728承安元年(一一七一)には、高倉天皇により「平等寺」と命名され、勅額を贈られました。(リンク先より) << 戻る