真言宗御室派

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箸蔵寺-徳島県三好市

・箸蔵寺 真言宗御室派 徳島県三好市池田町州津蔵谷1006箸蔵寺は天長五年(828)に、弘法大師が開創されたと伝えられる、徳島県三好市にある、真言宗御室派の古刹です。(リンク先より) << 戻る
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密厳寺-徳島県三好市

・密厳寺 真言宗御室派 徳島県三好市池田町西山3798当山は弘仁七年、嵯峨天皇の御守、弘法大師により、讃州本山寺、阿讃境中蓮寺、阿波密厳寺は三寺院共、一種一様一我を以って一夜に建立さられたと伝えられています。本尊を聖観音菩薩とし、脇仏不動明王は大師の爪彫りの作にして崇め奉り、家内安全、除災招福の他に、特にご婦人の産妊の安全、子育安全に御利益があり、古来より遠近の信仰の拠り所となっております。(リンク先より)※弘仁七年 816年 << 戻る
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白峯寺-香川県坂出市

・白峯寺 真言宗御室派 香川県坂出市青海町2635・80番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第81番札所 綾松山 洞林院  白峯寺 ⇒ 82番札所当山は弘法・智証両大師の開基である。弘法大師は、弘仁六年(815)当山に登られ、峯に如意宝珠を埋め閼伽井を掘られた。かの宝珠の地滝壺となり、三方に流れて増減なしと云う。次いで貞観二年十月の頃瀬戸の海上に流木出現し、光明に耀き異香四周に薫じたので、国司の耳に入りこれを当時入唐留学より歸朝して金倉寺に止住せられていた善知識円珍和尚に尋ねられた。和尚かの瑞光に導かれて当山に登り、山中を巡検して居ると白髪の老翁現はれて曰く「吾は此の山の地主神、和尚は正法弘通の聖者な...
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持福寺-徳島県吉野川市

・持福寺 真言宗御室派 徳島県吉野川市鴨島町飯尾623名西郡神山町上河内に弘仁年間、弘法大師の御手により阿弥陀如来を本尊とする、山岳寺院として建立されました。延徳三年、寺院は火災のために焼失し、当地徳島県吉野川市鴨島町飯尾に移住し、慶長年間、中興開山晴雲上人を経て、再興いたしました。(リンク先より)※弘仁年間 810年から824年 << 戻る
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明通寺-福井県小浜市

・明通寺 真言宗御室派 福井県小浜市門前5-21大同元年(806)征夷大将軍・坂上田村麻呂創建。「文化財の宝庫」と称されるこの若狭地方において、国宝指定の本堂・三重塔をはじめ、重文の仏像など数多くの寺宝を擁する古刹です。(リンク先より) << 戻る
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普門院-岡山県赤磐市

・普門院 真言宗御室派 岡山県赤磐市山口990当寺院は、奈良時代中期、報恩大師により開山と伝えられております。 備前四十八カ寺の一つとされ、開山当時は伽藍千有余・僧坊一千宇を数えました。(リンク先より) ご本尊: 十一面千手観世音菩薩開山: 760(天平宝字4)年<< 戻る
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円成寺-奈良県奈良市

・円成寺 真言宗御室派 奈良県奈良市忍辱山町1273創建については諸説あります。当山に伝わる『和州忍辱山円成寺縁起』(江戸時代)によると、天平勝宝8年(756)聖武上皇・孝謙天皇の勅願で、鑑真和上の弟子、唐僧虚滝和尚の開山であるとされていますが、同書のなかで中興の祖とされている命禅上人が、万寿3年(1026)、この地に十一面観音像を安置したのが始まりのようです。(リンク先より) << 戻る
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三津寺-大阪府大阪市中央区

・七宝山大福院 三津寺 真言宗御室派 大阪府大阪市中央区心斎橋筋2-7-12七宝山 大福院 三津寺(しっぽうざん だいふくいん みつてら)は、応神天皇を葬り奉った御墓所として、奈良時代の名僧・行基菩薩が楠を植えたのを始まりとし、のちに聖武天皇の勅命によって天平16年(744年)に行基菩薩が十一面観世音菩薩を安置した本堂を創建したことをもって開山とされています。また、七宝山という山号は、小松宮さまがお寺をご訪問された際に下賜されたものであります。(リンク先より) << 戻る
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葛井寺-大阪府藤井寺市

・葛井寺 真言宗御室派 大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21・第四番 ⇒ 西国三十三所 第五番 紫雲山 葛井寺 ⇒ 第六番725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代に渡り制作され、行基菩薩により開眼せられたと伝えられる。 堂々とした体躯は奈良時代に流行した脱活乾漆造という技法で造られている。粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しく、現存する脱活乾漆仏は大変貴重である。(リンク先より) << 戻る
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東福寺-徳島県美馬郡

・東福寺 真言宗御室派 徳島県美馬郡つるぎ町木屋341縁起では、神亀元(724)年 忌部大祭主玉渕宿祢が忌部神社の法楽として、法福寺を建立、さらに、東寺、西寺を建て、後東寺を東福寺と改め、忌部別当とした。また、弘法大師が巡錫の時、南山に宝剣が下るのを見て、不動明王を刻み本尊として、弘仁3(812)年に開創したとも伝う。(リンク先より) << 戻る
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一宮寺-香川県高松市

・一宮寺 真言宗御室派 香川県高松市一宮町607・82番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第83番札所 神毫山 大宝院 一宮寺 ⇒ 84番札所一宮寺は、大宝年間(701-703)に法相宗の祖、義淵僧正が開いたと伝えられています。当初は大宝院と称していましたが、和銅年間(708-715)に諸国に一宮が建立された時、讃岐一宮として田村神社が建立され、その第一別当寺(統括管理職)となりました。その後、行基菩薩が堂塔を修復し、一宮寺に改めたとされています。(リンク先より)<< 戻る
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龍蔵寺-山口県山口市

・龍蔵寺 真言宗御室派 山口県山口市吉敷1750文武二年(六九八)神変大菩薩と崇められた僧役小角が、豊後国彦山から掛錫し、奥之院の岩窟に熊野権現を観請し、秘法の護摩供を厳修され「龍の蔵」と名付けられたことに始まる。次いで天平十三年(七四一)行基菩薩がこの霊域に溜まり、自ら千手観音を彫り、寺を建て奉安し「龍蔵寺」と名付けられました。(リンク先より)
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廣福寺-山口県宇部市

・廣福寺 真言宗御室派 山口県宇部市中山80明王山廣福寺と称す。この寺の開基は役の行者(えんのぎょうじゃ)と伝えられる。前諸国遍歴の役の行者は中山の里に紫雲棚引くを見て、この地は仏の住する地なり里人に仏の教えを広めんとして延命地蔵菩薩像を彫刻し小さな庵を建ててこれを祀り里人に仏の教えを説きかたわら十王倶生神 五道の冥官 三途の河の老婆 我造罪刹鬼悪是等を彫刻し地蔵菩薩像と共に安置した(695頃)その後四十五代聖武天皇(724 即位)はこの地蔵尊の霊験殊勝なるを知りて勅願寺とされて天平13年(741)堂宇を建立し当時聖武帝の教僧行基(ぎょうき)に落慶法要の導師を命ぜられた。勅命をうけた行基は堂の...
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蓮光院初馬寺-三重県津市

・蓮光院初馬寺 真言宗御室派 三重県津市栄町3丁目210聖徳太子が厄除け・病気平癒のため開創されたお寺と伝えられております。即ち、太子42歳の厄年の時(614年)東の四天王寺建立を発願せられ、この伊勢の地に来られたおり、急に病に罹られ造営も太子の意のままにならず、そこへ加えて都より使いの者が現れ、御母と正妃がご不例である旨を伝える。太子は大層ご心配になり、師であった高麗の僧、慧慈に「如何せばや」と計られたところ、慧慈は徐に口を開き「聖体今年42歳の厄難の悪しき年廻りにあらせられる。伏して乞う、伽藍の艮(うしとら)の方角に馬頭観世音菩薩を彫み、法報二身を併せ安置し除難の法を厳修したまえ」と申され...