真宗大谷派

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光福寺-兵庫県川西市

・光福寺 真宗大谷派 兵庫県川西市笹部2-16-16・光福寺寿徳山光福寺の歴史は、明応二年に開基されて五百年を超えています。東谷地区で初めての内科医でもあった慧廣法師が中興開基しました真宗大谷派の末寺です。(リンク先より)※明応二年 1493年 << 戻る
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浄應寺-秋田県大館市

・浄應寺 真宗大谷派 秋田県大館市大館5戦国時代(1467-1568年)、河内国(大阪)に生まれて京都御所の守護に当った誉田大内記が、戦国の世の無常を感じ、本願寺八世蓮如上人の弟子となって、道願の法名を受けた。道願は、他力本願の慈悲法悦を体得して、諸国巡教を上人に願い出たところ、上人は非常に喜ばれ、三方阿弥陀如来像の軸を下さった。道願は、信者の河内屋嘉兵衛を供として秋田に下向し、寺内将軍野に草庵を結んで人々を教化したが、のち大館の片杭村(大館二ツ山)に来て一寺を建立した。明応年間(1492-1501年)の開基である。<< 戻る
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善行寺-岐阜県不破郡

・善行寺 真宗大谷派 岐阜県不破郡垂井町表佐1908当寺の開基・正善の俗姓は、人皇56代清和天皇の後胤・源三位頼政の末裔・服部源五左衛門の三男源兵衛なり。延徳元年(1489)本願寺8代・蓮如上人が山科本願寺にご在住の砌に帰依し弟子となり、名を正善と給わり、一宇の道場を建立する。(リンク先より) << 戻る
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浄勝寺-岐阜県大垣市

・浄勝寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市東町1-431室町末期、長亨3年(1489年)年に草庵を開き、慶長年間に当地(岐阜県大垣市東町)に移転、元和9年(1623年)に「浄勝寺」公称となり、現在の本堂は大正13年(1924年)に建築されました。(リンク先より) << 戻る
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聞善寺-石川県金沢市

・聞善寺 真宗大谷派 石川県金沢市瓢箪町5-33室町時代、文明3年(1471年)比叡山延暦寺などの迫害を受け京より逃れてきた蓮如上人が北陸における布教の拠点として越前吉崎に吉崎御坊を建立しました。 その後、近江に居を構える武士が蓮如上人を助けるために主従7人で馳せ参じ願西という法名を賜りました。文明7年(1475年)には戦国の動乱の中で吉崎御坊が焼失し、蓮如上人は吉崎の地を後にされます。この時、願西は加賀の地へ移られたのではないかと思われます。そして、文明13年(1481年)には金沢城の西側に聞善寺を建立されました。しかし、藩の事情により江戸時代、正保2年(1645年)には現在の地に移って参り...
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正行寺-奈良県大和高田市

・正行寺 真宗大谷派 奈良県大和高田市有井335正行寺(しょうぎょうじ)は文明2年當麻四朗為網が(1470年)本願寺八代蓮如上人に帰依に出来た寺で大和高田では最初の真宗寺院です。(リンク先より) << 戻る
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白禅寺-福井県福井市

・白禅寺 真宗大谷派 福井県福井市三尾野町6-85当寺は、昔、曹洞宗で、もと丹生郡山下飯郷若須村にある曹洞宗柏庭寺の別院で「白蓮禅寺」といい、丹生郡織田村にありました。文明年間八世蓮如上人に帰依し、曹洞宗から真宗に改宗し、現在の福井市三尾野町に移り、寺号を「白禅寺」と改称しました。(リンク先より)※文明年間 1469年から1487年 << 戻る
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常光寺-富山県下新川郡

・常光寺 真宗大谷派 富山県下新川郡朝日町泊283寺院明細帳や下新川郡史稿や寺院規則の沿革によると、「祖先は松厳といって前は真言宗で魚津の鹿熊に住んでおり、寺号を常光寺といったが、応仁の乱に戦争のため焼かれて、石川県大聖寺へ寓居(かりずまい)し、文明年間に蓮如聖人が吉崎で布教された時、真宗に帰依し明譚という法名を貰い相変らず常光寺といった。(リンク先より)※文明年間 1469年から1487年 << 戻る
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照光寺-滋賀県蒲生郡

・照光寺 真宗大谷派 滋賀県蒲生郡日野町内池655應仁二年(1468年)近江源氏の始祖、源扶義卿より十九世の子孫である、花木吉成によって創立された寺院です。鎌倉時代の宝治元年(1247年)に佐々木信治が戦功によってこの地に住み、北條時頼公の上洛の途次に、信治の館舎(當寺)に停留の時、庭前の櫻花を愛観され、自ら扇子に櫻花を載せ、信治に与えてこれを家紋とし、また佐々木を改めて花木を姓とすべきと命じられました。(リンク先より) << 戻る
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蓮乗寺-大阪府大阪市城東区

・蓮乗寺 真宗大谷派 大阪府大阪市城東区永田4-4-7応仁2年(1468年)に蓮如上人が叡福寺(南河内郡太子町)に参詣する途中、永田村の宮木久兵衛方に立ち寄り、その庭先の石に腰掛けて村人に説法されました。その後、上人の説法が数年に及び、信者の願いによって草庵を建立したのが蓮乗寺のはじまりとのことです。縁起によれば蓮如上人が説法されるとき、池の蛙が鳴くのをやめて上人の教えに聞き入ったとされています。今でも、かえるが鳴くのをやめたという不鳴池(なかずのいけ)や、上人が腰を掛けたという腰掛け石など、当時をしのばせるものが残っています。<< 戻る
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光受寺-岐阜県大垣市

・光受寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市墨俣町墨俣211光受寺は元濃州安八郡柴間郷二ツ木圧、 天台宗法蔵寺として義兼(泉 智庵)によって創建される。その後、法弟正圓が法蔵寺を継ぎ、正龍、正善に至る。寛永年間(室町1460年~1465年頃)正善は、天台宗から浄土真宗に改宗。深く蓮如上人に帰依し、寺号を廣受寺と改める。(リンク先より) << 戻る
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善福寺-石川県金沢市

・善福寺 真宗大谷派 石川県金沢市橋場町8-6開創 1445(文安2)年開基 蓮康僧都(本願寺第8代蓮如上人異母弟)(リンク先より) << 戻る
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本泉寺-石川県金沢市

・本泉寺 真宗大谷派 石川県金沢市二俣町子8室町時代中期の嘉吉二年(かきつ2ねん 1442年)、今からおよそ570年前に、蓮如上人の叔父・如乗法印によって現在の地・二俣に開かれました。50年ほど前に綽如上人(しゃくにょしょうにん 本願寺第8世・蓮如の曽祖父)によって開かれた越中井波の瑞泉寺を手助けするお寺として建てられたようです。瑞泉寺(泉)の願いを本として建てられたという意味で、本泉寺の寺号が名乗られました。(リンク先より) << 戻る
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長蓮寺-岩手県奥州市

・長蓮寺 真宗大谷派 岩手県奥州市前沢区前野66室町時代の応永11(1404)年、長順和尚の開基と寺伝にあり、前沢では2番目に古く600年の歴史を有りしている。開祖親鸞が興した浄土真宗の念仏の教えは、東日本にも教勢をのばし、高弟二十四輩の一人、和賀の是信房が長蓮寺を開いたという別の伝えもある。白鳥では唯一のお寺で、一関市厳美の中世の農村集落骨寺村遺跡との関わりも深い。(リンク先より) << 戻る
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正本寺-愛知県稲沢市

・正本寺 真宗大谷派 愛知県稲沢市奥田町中切前44571334年(建武元年)に天台宗の寺院として開寺された正本寺(しょうほんじ)は、室町後期に蓮如上人の教化を受け、三河松平藩の流れで浄土真宗に転派いたしました。(リンク先より) << 戻る
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明超寺-茨城県つくば市

・明超寺 真宗大谷派 茨城県つくば市谷田部2003「桓武天皇の子孫である三浦大介義明の孫 駿河九郎重村(しげむら)」が、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の弟子となり、「明信(みょうしん)」という法名をいただいて、徳治2年(1307年)に明超寺を建立したこととなる。 この方が明超寺開祖・開基ということになる。さらに明超寺の口伝によると、明超寺開基は「法照坊(ほっしょうぼう)」という坊号があったと伝えられている。(リンク先より)<< 戻る
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西光寺-愛知県愛西市

・【公式サイト】愛西市寺院西光寺 真宗大谷派 愛知県愛西市稲葉本郷200古い寺伝によれば当寺は元天台宗で諦善(文永9年(1272)5月死亡)が創立した。その頃より伝教大師作と言われる聖徳太子立像を安置している。元美濃国の幡長という所にあったが中島郡の三宅村(現平和町)に移ると、当時の領主橋本伊賀守の菩提所となった。(リンク先より) << 戻る
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法通寺-愛知県常滑市

・法通寺 真宗大谷派 愛知県常滑市港町5-21鎌倉時代、当山は内海の庄にあり1250年(建長2年)開基釋明了の時に浄土真宗に改宗する。それより成岩の庄、榎戸の地に移転する。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-愛知県碧南市

・西方寺 真宗大谷派 愛知県碧南市浜寺町2-19棚尾村に、光照寺(光正寺との文書もある)と称する天台宗の寺があった。僧念雅(宝治2年・1248年没)の代に親鸞に帰依して、真宗に改宗したという。蓮如が三河地方をめぐり、真宗興隆の時代を迎えて、十五代念法は、明応5年(1496)に現在の大浜の地に寺を移し、名を西方寺と改めた。(リンク先より) << 戻る
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阿弥陀寺-愛知県稲沢市

・阿弥陀寺 真宗大谷派 愛知県稲沢市下津町東下町66阿弥陀寺は1239(延応元)年に真言宗の寺院として創建され、戦国時代初期の文明年間(1469~87年)に蓮如上人が訪れたのを契機として浄土真宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る
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聞光寺-新潟県柏崎市

・聞光寺 真宗大谷派 新潟県柏崎市西本町1-10-411232 貞永1 12月7日開基 宗観 磯辺村に一宇を結ぶ12月7日開基 宗観没(リンク先より) << 戻る
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称名寺-長野県長野市

・称名寺 真宗大谷派 長野県長野市若穂綿内8532粟津の戦(この時17歳、義仲31歳)に敗れ、後 各地を流浪。承元四年(1210年) 越後にいた親鸞聖人の弟子となる。 後、稲田へ同行、その後信濃へ帰り、金山の麓 波羅蜜寺に入り、寺号を義仲院水口山称名寺と変え、そこに住す。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-香川県綾歌郡

・西光寺 真宗大谷派 香川県綾歌郡綾川町陶5702-1讃岐の地に居られた間いつもお供していた弟子然慶の生地、讃岐国鵜足郡鍋谷の里に暫し憩われて、ここに草庵を建立し、 阿弥陀如来尊像を安置せられました。上人此の草庵を諦観山西光寺と号すべし、と仰せられ帰洛のおり尊像と共にこの 草庵を然慶に賜うたのです。これが西光寺の創りで、時は承元二年(一二〇八)年も迫る師走でありました。(リンク先より) << 戻る
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福井別院本瑞寺-福井県福井市

・福井別院本瑞寺 真宗大谷派 福井県福井市花月1-2-36越前における親鸞聖人の教えの普及は承元元年(1207)の越後御流罪、北陸路を通過される頃から始まったと考えられ、念仏の道場はそのころより創設されたと推測されています。 蓮如上人(本願寺八代)が吉崎に向かわれた際(1471)の布教を契機に、多くの寺院が蓮如の本願寺に改宗・転派あるいは創建し、末寺となりました。この北ノ庄(現在の福井市)にも教化を受けた人々によって総坊(総道場)が建てられました。それは浜町(現在の中央三丁目。足羽川沿いのうち九十九橋から桜橋)近くで、近隣の九ヶ寺で管理するようになりました。(リンク先より)<< 戻る
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本伝寺-富山県黒部市

・本伝寺 真宗大谷派 富山県黒部市沓掛113建永2年(1207)、親鸞(1173~1262)越後流罪時に荻生村金津にあった(渕上家)祖先の家に立ち寄られて、その教えを受けた祖先は、親鸞から渕上一乗坊という称号を賜って坊舎を建てたことが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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勝善寺-千葉県南房総市

・黒石山龍燈院 勝善寺 真宗大谷派 千葉県南房総市二部1344-2建久元(1190)年 天台宗の僧永範が検儀谷原黒石山に一宇を建立し、黒石山龍燈院勝善寺と号す。元仁元(1224)年 永範は、親鸞聖人に帰依し浄土真宗に改宗し釋明空と名のる。(リンク先より) << 戻る
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皆福寺-愛知県豊田市

・皆福寺 真宗大谷派 愛知県豊田市幸海町神田9皆福寺は、松平地区最古の寺院であり、創建については、諸説あるが、1181年(養和元年)又は1247年(宝治元年)と伝承されている。当時は、酒呑村梅上(現在地から北へ500m程の地区)を所在地とし、天台宗のお寺であったが、正和年間(1312~1316)の頃に、第4代住職光玄が本願寺第3代覚如上人(1270~1351)の直弟子となり、真宗に改宗した。(リンク先より) << 戻る
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芳蘚寺-静岡県浜松市中区

・芳蘚寺 真宗大谷派 静岡県浜松市中区池町225-18天台宗としての開創は平清盛が太政大臣(ダジョウダイジン)に就任して、その3年目の嘉応元年(1169)である。(リンク先より) << 戻る
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光顕寺-熊本県熊本市南区

・光顕寺 真宗大谷派 熊本県熊本市南区南高江1-18-39光顕寺の歴史は平安時代まで遡り、石浦河内守藤原經國(つねくに)が久安6年(1150年)に河内から肥後に下向し、髙家城(髙江城)を池ノ辻に築き、翌仁平元年に池畑に大栄寺を建立したことにはじまります。その後白山に城を築き移り住み、髙家城跡に寺院を建立しました。天正元年(1573年)に、僧浄頸によって真宗寺院が再建され、これが現在の光顕寺にあたります。(リンク先より) << 戻る
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満福寺-岐阜県大垣市

・満福寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市墨俣町墨俣131寛和の頃(986年)天台宗の伽藍として創建されたが、熊谷蓮生房の猶子、小太郎直照・祐照法師が浄土真宗の宗祖親鸞聖人に帰依してより、嘉禎元年(1235年)葉栗郡門間の庄足近に金足山・満福寺と号した。(リンク先より) << 戻る
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隆勝寺-山形県山形市

・隆勝寺 真宗大谷派 山形県山形市小荷駄町1-1【850年頃】慈覚大師(天台宗)が龍山(霊山)寺創建西蔵王に龍山寺を中心にたくさんの堂塔・坊舎がたったことから三百坊と呼ばれる 【867年】龍山寺が定願寺(国指定の寺)になる隆勝寺を含め、三百坊隆盛【1258年】北条時頼三百坊閉山命令隆勝寺山形市成沢へ移転し、復興【1451年】浄土真宗に改宗(リンク先より)<< 戻る
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称名寺-神奈川県川崎市幸区

・平間山 称名寺(しょうみょうじ) 真宗大谷派 神奈川県川崎市幸区下平間183称名寺の源流は、天長9年(831)空海(弘法大師)の弟子弘海が現在地に草庵を建立したことに始まります。以来、寺号を大悲山普門寺と称し真言宗の寺として経過。永仁5年(1297)13代忍峯阿闍梨は本願寺2世如信の弟子となり、法名如海を賜ります。この時、宗旨を浄土真宗に改宗し、以後寺号を平間山称名寺と称しています。(リンク先より) << 戻る