熊本県

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大福寺-熊本県熊本市南区

・大福寺 浄土真宗本願寺派 熊本県熊本市南区近見2丁目7-1大福寺は熊本県熊本市南区に位置しております。平成22年に新納骨堂の鳳凰堂を建立(リンク先より) << 戻る
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極楽寺-熊本県阿蘇市

・極楽寺 曹洞宗 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3032450余年の歴史を有りし、明治維新前までは阿蘇家の菩提寺で由緒深き禅寺である。旧本堂は、阿蘇山上に建立してあった建物をこの地に移転したもので、今日まで風雪に耐えて老朽化したため、平成七年、現在の本堂の建立となった。(リンク先より)※平成七年 1995年 << 戻る
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奥之院-熊本県玉名市

・奥之院 真言律宗 熊本県玉名市築地1512-77皇円大菩薩様ご入定800年御遠忌を記念して、昭和53年に「奥之院」が建立されました。奥之院は、人々の願いを叶える為に修行する僧侶や、僧侶を志す人達の修行道場として建立されましたが、現在では、『一願成就』『厄払い』のお寺として、年間30万人の方々がお参りされております。(リンク先より) << 戻る
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平等寺-熊本県熊本市北区

・平等寺 華厳宗 熊本県熊本市北区植木町平原725昭和5年、末永眞如師僧の夢枕のもとに、お不動様が立たれ「木葉山を霊場にし、我をまつりたまえ」と啓示を賜りました。神仏の導きにより眞如師僧一同が木葉山を訪れると、そこには石灰岩を主に構成した鉱山、その山中には緑したたる木々、十数カ所から湧き出る清冽なる湧水、清らかな小川のせせらぎがあったのです。何よりも村の人々が大昔から、往生が滝、白糸の滝と呼んでいる滝壷は、深山幽谷を思わせる霊気漂う別天地でした。大自然に恵まれた神秘的な理想郷への御導きのもと、この霊滝を世に出させていただく事をお不動様に誓われました。村の人々の協力のもと、平等寺僧侶、信者様方の...
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高野寺-熊本県人吉市

・高野寺 真言宗大覚寺派 熊本県人吉市下青井町47当山は、大正十五年に初代良戒大和尚により開山せられました。その当時から、“お大師さん”や“こうやさん”と呼ばれ、皆様に親しまれています。山門は入りまして左手すぐのところに「新四国八十八カ所霊場」の八十八体の佛様が鎮座されておられます。(リンク先より) << 戻る
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向陽寺-熊本県上天草市

・向陽寺 曹洞宗 熊本県上天草市松島町合津2856九州三十三観音霊場二十一番札所 松島慈光観音 開基 天光丹瑞和尚 建立 享保8年向陽寺は熊本県天草の松島、風光明媚な雲仙天草国立公園の一角にあります。 当山は、旅の僧、悟室宗舜上座により観音様のお堂が建てられたとされています。(リンク先より)※享保8年 1723年 << 戻る
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明栄寺-熊本県天草市

・明栄寺 曹洞宗 熊本県天草市新和町小宮地1300金剛山 明榮寺は、承応2年(1653)に東向寺門末として中華珪法大和尚を開山として建立。寛文2年(1663)に當山2世 中興 蜜山道實大和尚により再建。寺石2石の石高も付与されていた。その後の資料が紛失によって不明。(リンク先より) << 戻る
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浄行寺-熊本県熊本市南区

・浄行寺 浄土真宗本願寺派 熊本県熊本市川尻1-5-871652年(承応元年)慶智の開基で、熊本市坪井にある浄行寺の末寺。本尊は安阿弥様(あんなみよう)との伝えがある二尺二寸の阿弥陀如来です。(リンク先より) << 戻る
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徳成寺-熊本県玉名郡

・徳成寺 浄土真宗本願寺派 熊本県玉名郡玉東町大字木葉1056-1浄土真宗本願寺派 徳成寺熊本教区 玉関組に属しています創立 : 慶長2年3月28日(1597.3.28)第一代住職 : 慶順 師(リンク先より) << 戻る
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覚法寺-熊本県熊本市中央区

・覚法寺 浄土真宗本願寺派 熊本県熊本市中央区水前寺公園1-25覚法寺の山号は、早川山(そうせんざん)と号します。なぜ早川山と申すかといいますと、早川(そうがわ)と言われる地から、このお寺がスタートしたからです。文禄元年(1592年)、覚法寺初代・釈了意によって、早川(そうがわ)の地に坊舎を建立し、覚法寺が開基されます。現在の熊本県甲佐町早川(そうがわ)の場所になります。(リンク先より) << 戻る
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宗岳寺-熊本県熊本市中央区

・宗岳寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区上林町3-45創建由緒は未詳の部分が多いが、はじめは天台宗の寺で「妙心寺」と号したと いわれている。天正19(1591)年、肥前長崎より玄雪栄頓大和尚を請して中興開山とした。 その際に最も功績のあったのが加藤清正公の一族、田寺久太夫であり、「開基」 とされている。久太夫の法号「泰雲宗岳大禅定門」から「泰雲山宗岳寺」と称する ようになった。清正公の築城以来、当寺が城の北東の方角、表鬼門に当たること から、城の鎮護寺とされてきた。(リンク先より) << 戻る
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禅定寺-熊本県熊本市中央区

・禅定寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区横手1-9-6天正文禄の比(1532年~1554年)、宣安明言大和尚(禅師)が龍田山の麓で廃寺となった壽福山常楽寺を再興開闢されたことにより本寺の歴史が始まっております。戦国の世であった当時、幾多の困難を乗り越えられた宣安明言大和尚(禅師)は加藤清正公(肥後国主)の重臣であった並河志摩守より崇信を受け、加藤忠広公(加藤清正公実子)および並河志摩守、南条元宅(加藤家重臣)が加藤清正公より許可を得て建立されております。(リンク先より) << 戻る
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光顕寺-熊本県熊本市南区

・光顕寺 真宗大谷派 熊本県熊本市南区南高江1-18-39光顕寺の歴史は平安時代まで遡り、石浦河内守藤原經國(つねくに)が久安6年(1150年)に河内から肥後に下向し、髙家城(髙江城)を池ノ辻に築き、翌仁平元年に池畑に大栄寺を建立したことにはじまります。その後白山に城を築き移り住み、髙家城跡に寺院を建立しました。天正元年(1573年)に、僧浄頸によって真宗寺院が再建され、これが現在の光顕寺にあたります。(リンク先より) << 戻る
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国分寺-熊本県熊本市中央区

・国分寺 曹洞宗 熊本県熊本市中央区出水1-1-56・肥前 ⇒ 西海道 肥後 国分寺 ⇒ 日向国分寺は、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院です。国分僧寺と国分尼寺に分かれます。正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」です。(リンク先より)<< 戻る
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西巌殿寺-熊本県阿蘇市

・西巌殿寺 天台宗 熊本県阿蘇市黒川1114阿蘇山西巌殿寺のおこりは、神亀3年(726)にさかのぼります。当時、阿蘇信仰の中心は「阿蘇のお池」と呼ばれる噴火口の湯溜まりでした。そもそも日本では、山は死者の世界であり同時に豊かな実りを生む水の源として信仰の対象とされていました。そのはかりしれぬ神秘を人々は畏(おそ)れ崇拝していましたし、その一方では、山へ入り、修行を積み、神霊の意志を伝えようとする山岳修行者もいました。(リンク先より) << 戻る