広島県(浄土真宗本願寺派)

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安楽寺-広島県呉市

・安楽寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市上山田町2-28明治40年頃 山口、小串の安楽寺より来呉。清水通から宮原通りにかかるところの民 家を聞法道場とした。大正 末期 現在の伏原に本堂を建立する。昭和 2年 前勇哲入寺(第一世)(リンク先より)※明治40年 1907年 << 戻る
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専徳寺-広島県呉市

・専徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市中通2-6-18呉市中通の専徳寺は、明治36年頃(呉市制スタートの頃)に、順道和上が皆さまの支えによってつくられた説教所を濫觴といたします。(その前のことは、長浜専徳寺のホームページもご覧ください。)(リンク先より)※明治36年 1903年 << 戻る
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青蓮寺-広島県呉市

・青蓮寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市伏原1-13-16明治28年(1895)初代住職 釈 徹明が開基。布教道場「洗心堂」を据え、常説教、仏教婦人会、日曜学校の活動をする大正期頃(1915)成町(現・伏原)に本堂を建立する(リンク先より) << 戻る
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善徳寺-広島県広島市南区

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市南区宇品神田4-11-8明治19年に宇品築港でやって来た上蒲刈島大浦出身の浄土真宗門徒たちが、宇品海岸3丁目の旧運輸部跡に真宗宇品説教所を開設し、主管に東広島市河内町宇山教念寺副住職の友國順信師を迎えた。淳信師のご往生後に寺基は転々としたが、昭和12年に後継者の友國善量が寺を宇品神田5丁目に移して再建し、昭和22年4月に本願寺より「善徳寺」の寺号の公認をうけた。(リンク先より)※明治19年 1886年 << 戻る
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源光寺-広島県三次市

・源光寺 浄土真宗本願寺派 広島県三次市西酒屋甲156毛利元就家臣・福間源左衛門正成が、我が子の討死などを縁として世の無常を観じ、本願寺・顕如上人に法謁の後、得度。法名を覚栄と授かり、高田郡に寺院を建立。西酒屋村に移住した後、原村へ寺基を移転するにあたり、二世覚証の弟・慈教を酒屋に残す。承応3年春、源光寺が両酒屋の総講寺として建立された。(リンク先より)※承応3年 1654年 << 戻る
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品秀寺-広島県広島市安芸区

・品秀寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区畑賀2-2-16ご本尊は阿弥陀如来さま。慶長7年(1604)に浄土真宗の寺と再興された時のご本尊は、 蓮如上人直筆の『六字名号』(軸)でしたが、本堂が再建されてからは、阿弥陀如来さまのお木像です。 内陣修復として、ご本尊が安置される宮殿(くうでん)ならびに柱回りは、彩色が完全な形で仕上げられました。(リンク先より) << 戻る
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隨泉寺-広島県広島市安芸区

・隨泉寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区中野東7-27-30慶長9年(1604年)今からほぼ400年前、僧恵閑(えかん)なる人により開基されました。恵閑師は、賀茂郡熊野跡村(現・広島市安芸区阿戸町)の薬師堂におられ、隨泉寺の前身湯原山法専寺に入寺されました。湯原山法専寺は 真言宗の道場であり、場所は現在の井原地区変電所の付近にあったと言い伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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善徳寺-広島県広島市安佐北区

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安佐北区深川2-19-28天文21年(1552)超印法師の開基によるもので、念仏道場として、善徳寺御門徒、有縁の方々により護られてきたお寺です。『高陽町史』によると「武田氏の末流山村平兵衛が、享禄年中桜尾城で討死後、一子は出家して超印と称し、佐伯郡石内村の慶蔵坊の弟子となり、下深川へ来て真言宗教徳坊の寺跡を真宗に改め、善徳寺の開基となった」とあります。(リンク先より) << 戻る
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光徳寺-広島県三原市

・光徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県三原市久井町和草970神辺の城主山名式部少輔美政の次男善宗は戦の明け暮れに生命を失っていく戦国の世に無常を感じ、明応五年に現在の地に草庵を結び、出家して好晴と名のりました。   そして、大永六年四月九日光徳寺を創立し、天文十年十月十五日に往生の素懐を遂げました。(リンク先より)※大永六年 1526年 << 戻る
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寿髙院光明寺-広島県大竹市

・寿髙院光明寺 浄土真宗本願寺派 広島県大竹市元町2-13-71508年(永正5年) 初代住職 釈清順(俗名 日野左エ門三郎秀慶)が光明寺を開く。現在の山口県岩国市美和町にて開山したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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最禅寺-広島県廿日市市

・最禅寺 浄土真宗本願寺派 広島県廿日市市峠1099明応10(1501)年、最禅寺と名付ける。寛永10(1633)年、本願寺末属となる。元禄7(1694)年、久保田の地より現在の位置に到る。(リンク先より) << 戻る
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龍仙寺-広島県安芸郡

・龍仙寺 浄土真宗本願寺派 広島県安芸郡府中町山田1-2-53十五世紀後期(明応年中1492~1501)、現在地の東北、江本寺(石井城二丁目)に蓮華寺(瀬野川町畑賀)の末寺として僧深澄によって建立された。当初は真言宗だったが、大永三年(1523)に浄土真宗に改宗。第八代住職釈了安が、現在地に移転。寛永十三(1636)年五月十八日付けで本山本願寺より阿弥陀如来木像が下附、正式に本願寺末寺として寺号認許となった。(リンク先より) << 戻る
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光圓寺-広島県広島市中区

・光圓寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市中区寺町5-43光圓寺は、佛護寺十二坊の一つで、往古から川の内衆であって、安藝郡牛田村風呂の谷に所在し、宗旨は眞言宗であったが「願了」の代に、京都本願寺蓮如上人の弟子となり文明年間(室町時代1470年ごろ)浄土真宗に改宗し、初めは本願寺と号したが、本願寺派になった後東林坊と改めたと言われる。(リンク先より) << 戻る
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西教寺-広島県呉市

・西教寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市下長ノ木町16-10西教寺は、その昔は「華峰山光浄院と号」した真言宗の小刹(小さなお寺)であったと申します。その創立は不明でありますが、寛正(1460~1464)の頃より諦念阿闍梨が住して、当地方一帯を教化されましたが、1531(享禄4)年春遷化せられたのであります。そこで空き寺となったのであります(リンク先より) << 戻る
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西楽寺-広島県庄原市

・西楽寺 浄土真宗本願寺派 広島県庄原市中本町一丁目10‐101444年(文安元年) 芸藩通史には「戸郷村にあり、文安元年、僧存如、開基」とある寛文年代 三日市勝光寺文書に戸郷村西楽寺の記載有り。(リンク先より) << 戻る
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嶺宿山専徳寺-広島県呉市

・嶺宿山専徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市広長浜3-13-211429年(応永27年)臨済宗仏通寺派を開いた愚中禅師が、この地を見て気に入り、寺院建立をすすめているとき、本郷沼田城主 小早川熈平が戦死者の冥福を祈ると共に、支配の及ぶ拠点として、この地に「嶺宿山専徳院」を建立。(現在の観音堂付近)(リンク先より) << 戻る
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光行寺-広島県福山市

・光行寺 浄土真宗本願寺派 広島県福山市神辺町川北764当山開基勝尊上人は親鸞聖人の直弟子、明光上人の従者(三大老)の一人として安貞元年(1227年)沼隈山南に一寺を建立し東光坊と称す。その後山南に在りし寺を中条(西中条深水)に移し、更に神辺古城に移す。 元和年中、水野勝成福山に城を築くに当たり四方の道俗居を福山に移す。その時寺を城東に移し(現在東町光善寺)、神辺の旧地に一寺を建立して覚圓寺光行寺と号す。ここに第十世祐教の弟、祐尊をして継がしむ(1624年)。その後神辺大火にあい古城に在りし寺を川北領家(現在地)に移し今日に及ぶ。(リンク先より)<< 戻る