富山県(浄土真宗本願寺派)

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寵柳寺-富山県富山市

・寵柳寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町杉田250<< 戻る
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徳成寺-富山県富山市

・徳成寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市笹津1240<< 戻る
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法林寺-富山県富山市下大久保

・法林寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市下大久保5区3604<< 戻る
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妙伝寺-富山県富山市

・妙伝寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市大井58<< 戻る
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常禅寺-富山県富山市

・常禅寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市羽根561<< 戻る
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浄蓮寺-富山県富山市

・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市上熊野697<< 戻る
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仏心寺-富山県富山市堀瑞町

・仏心寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市堀瑞町5-1<< 戻る
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養楽寺-富山県富山市

・養楽寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市水橋下砂子坂1235<< 戻る
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光伝寺-富山県富山市

・光伝寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市梅沢町3-10-8<< 戻る
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妙福寺-富山県富山市

・妙福寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市東中野町2-4-20<< 戻る
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宝林寺-富山県富山市上野

・宝林寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市上野418<< 戻る
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円光寺-富山県富山市婦中町

・円光寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市婦中町持田154-1<< 戻る
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徳円寺-富山県富山市

・徳円寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町大杉366-2<< 戻る
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専念寺-富山県富山市

・専念寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町東葛坂551<< 戻る
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本柳寺-富山県富山市

・本柳寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市葛原784<< 戻る
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本願寺富山別院-富山県富山市

・本願寺富山別院 浄土真宗本願寺派 富山県富山市総曲輪2-7-121800年頃 (寛政年間~天保頃)川端町に町屋を買い本山会所を設ける1884年(明治17年) 9月13日 別院昇格の許可(以後3度の火災にあうが復興する) 1945年(昭和20年) 8月1日 深夜、富山大空襲にて別院4度目の焼失1946年(昭和21年) 8月1日 仮本堂入仏法要(リンク先より)<< 戻る
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本龍寺-富山県高岡市

・本龍寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市末広町1005浄土真宗本願寺派 光慶寺11代了寿の2男恵仁が、享保4年(1719)5月、佐賀野村で一宇を建立して本龍寺と称した。享保15年(1730)6月、本寺の光慶寺が移転したので、これに応じて鴨嶋村(現博労)へ移った。明治の大火の後、明治30年6月再び高岡市末広町に移転して現在に及んでいる。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-富山県高岡市

・西福寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市福岡町福岡1865当寺は昔火事に遭った事から由来に関する書物はありませんが伝承によると1600年頃には西福寺は在った様です。(リンク先より) << 戻る
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西蓮寺-富山県砺波市

・西蓮寺 浄土真宗本願寺派 富山県砺波市庄川町庄3804永正甲子元年《一五〇四年、五〇三年前》天台宗金剛寺教誓法師が浄土真宗本願寺九代の実如上人に帰依し西蓮寺と改称されました。当時該寺院は一の谷山に位置し、修行道場を始め伽藍も整い、周辺に存在する幾多の寺坊を圧したる主坊であったと伝えられています。後に現在地に遷居するに際し、金剛寺の寺号を今の村名に残されましたが、天和元年《一六八一年》加州候検地の際、雄神庄村と合併して庄金剛寺となったと旧記されています。(リンク先より) << 戻る
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勝興寺-富山県高岡市

・勝興寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市伏木古国府17-1本願寺八世蓮如上人が、文明3年(1471年)越中の布教の拠点として、砺波郡蟹谷庄土山(現在の南砺市福光土山)に土山御坊を開き、蓮如の子孫が代々住職を務めました。本願寺が門跡に任ぜられると他の寺院と共に院家に任ぜられるなど、真宗王国越中における代表的寺院であると同時に、本願寺を支える連枝寺院の一つとして重要な働きをなしてきました。永正14年(1517年)寺号を本山に申請したところ、佐渡にあって廃絶していた順徳上皇勅願所「殊勝請願 興行寺」を再興相続して、勝興寺と称することを認められました。(リンク先より) << 戻る
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聞名寺-富山県富山市

・桐野山聞名寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町今町1662聞名寺がはじめて越中に入ったのは応仁二年(1468)、本格的に拠点を移したのは大永四年(1524)であったと伝えます。八尾南部の山間地(乗峰や倉ヶ谷など)を経て、福島の台地に一旦寺域を構えましたが、越後上杉勢の来襲に備え、天文二十年(1551)、三方を崖に囲まれた旧い砦の址、「八尾前山」(現在地)に移りました。その後寛永十三年(1636)境内に八尾町建てがなされ、当寺は町そのものの母胎として今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
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広済寺-富山県高岡市

・福田山 広済寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市笹川98廣済寺は、むかし旧砺波郡福田郷の十禅師社之別当職真言宗攝生院と号した霊場であった。享徳元年(1452年)四月三日、住職慶榮及び信徒は浄土真宗に帰依し、同郡小栗郷内篠川村領(現在は笹川)に善徳他十数名により、難渋の数年を要して六町歩余の地を開墾し、その地を福田と名づけ堂宇を建立し廣済寺の寺号を賜わる。(リンク先より) << 戻る
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称名寺-富山県黒部市

・含暉山称名寺 浄土真宗本願寺派 富山県黒部市荻生2711結城称名寺七代耀佛の次男、寂照が法師武者として越中に来て、明徳元年(1390)に朝日町道下に一宇を創建、布教に従事、当寺の開基となりました。その後、旧荻生地区辺(現在の一宿、青木等含む)を始め所々に道場を建て教勢を拡張していったのが、含暉山称名寺の由来であります。第5代(住職名不明)の時、信証の生まれた地名と結城の寺号から、芳賀称名寺と名のり、現在の地に建立(年代不詳、現境内にそのころの古木有り)、しかし、越後の長尾氏領内における一向宗禁令の余波により衰微の一路をたどります。(リンク先より) << 戻る
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玉永寺-富山県富山市

・玉永寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市水橋西大町560本県最古の本願寺門徒集団。本願寺三代覚如の長男存覚の『存覚袖日記』の1360年(延文5)閏4月条には越後柿崎庄(現新潟県柿崎町)に住む教浄房が持参した本尊軸に、存覚が、<越中国水橋門徒 越後国柿崎住人尼浄円本尊也>と書いたとある。この本尊軸は、法然・親鸞・如信・覚如の4祖を描いた先徳連座像で、これら先徳から法系が水橋門徒へと手継(継承)されたことを存覚が認めたことになる。(リンク先より) << 戻る
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専長寺-富山県滑川市

・専長寺 浄土真宗本願寺派 富山県滑川市寺家町257当山の資料によると、寛喜元年(1229年)(承元3年1209年説あり)承久の乱により流罪に処された後鳥羽上皇の皇子・圓信が、越中国砺波郡山田荘梅原里(南砺市梅原)に真言宗寺院・大法(宝)寺を開基したことに始まる。(リンク先より)<< 戻る
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善興寺-富山県高岡市

・善興寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市中田4500-1善興寺は、もともと後亟(ごぜ:小矢部市)に在りました。現在もその旧地には石碑が建っています。善興寺に伝わる古文書には、開基について「飛鳥法興寺七世慧乗禅師によって建立」された、と記されています。飛鳥朝の欽明天皇13年(552)に仏教は百済より伝えられました。仏像を天皇より賜った蘇我氏の菩提寺、法興寺の第7世慧乗法師が、諸国を巡錫するなかで越中国を訪れ、石動山の麓に勝地を選んで一宇を建立したことが始まりとされます。霊亀2年(716)のことです。のちに天台宗の勅願所として「飛鳥山善興寺」の号を賜り、石動山の三分一を功徳田としました。(リンク先...