長野県(浄土宗)

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兄部坊-長野県長野市

・兄部坊 浄土宗 長野県長野市元善町463兄部(このこうべ)とは、仏事を取り仕切る職位を意味し、善光寺に代々伝わる仏教行事『堂童子(どうどうじ)』に於いて、その職位にあったことにより当宿坊は、『兄部坊(このこんぼう)』と称しております。(リンク先より) << 戻る
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長谷寺-長野県上水内郡

・長谷寺 浄土宗 長野県上水内郡飯綱町大字黒川1829(旧アドレス:)最も古い由緒書(『蓮門精舎旧詞』元禄9年(1698))によると「開山は浄土宗の僧物道(経歴不詳)」、永禄年中(1558~1570)室飯村の城主島津権六郎がその伯母(法名宝誉玉林)の善提を弔うために創建した」と書かれています。(リンク先より) << 戻る
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大英寺-長野県長野市

・大英寺 浄土宗 長野県長野市松代町松代1314皓月山大英寺は松代藩初代の藩主 真田信之公が、その奥方であった小松姫(大蓮院殿)の菩提を弔うために建立した寺です。小松姫の戒名は「大蓮院殿英誉皓月大禅定尼」で、大英寺の名前もここからいただいております。元和8年(1622)、信之公は松城(松代)へ転封になり松城に大蓮院殿の寺を移しました。それが現在の大英寺となります。(リンク先より) << 戻る
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浄心寺-長野県安曇野市

・一佛山光明院浄心寺 浄土宗 長野県安曇野市三郷小倉3360-ヘ創建 天正6年(1578年)開山 存蓮社唯称泉譽上人開基 光明院殿一譽脱叟浄心大居士 小笠原但馬守貞政(リンク先より) << 戻る
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玄向寺-長野県松本市

・玄向寺 浄土宗 長野県松本市大村681当寺の歴史は、室町時代の永禄4年(1561)5月、長譽清光和尚が現松本市浅間温泉の地に、「帰命山念佛寺」を開創されたことに始まります。やがて、寛永2年(1625)10月、西譽向順和尚が現在の松本市大村に寺を移して、開山上人のお名前をいただいて、「清光寺」と名前を改めました。(リンク先より) << 戻る
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法光寺-長野県諏訪市

・手長山 二尊教院 法光寺 浄土宗 長野県諏訪市岡村1-16-5戦国時代、諏訪の中心として栄えた諏訪氏の居城上原城の城下町(茅野市上原)には、鎌倉五山になぞられて上原五山と言われる寺院がありました。永明寺・金剛寺・光明寺・法(報)明寺・極楽寺がこれです。この中、法(報)明寺と光明寺の二ヶ寺が後日合併して、現在の法光寺(諏訪市岡村)にいたっています。 「起立記」によると、謝徳山報恩寺は永禄三年(1560年)、明蓮社賀譽岌興上人(京都百萬遍知恩寺第二十六世)の開山であり、遍照山新光明寺は、然蓮社貞譽良記上人(鎌倉光明寺第十二世)の開基であり、 第八世生蓮社岌往上人がこの二ヶ寺を合併、二仏を一緒に安...
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蓮香寺-長野県長野市

・蓮香寺 浄土宗 長野県長野市川中島町原101貞治6年1367 開祖称蓮社名誉月秀善室上人により創建される応永22年1415 第二世聖蓮社教誉慶学上人遷化(リンク先より) << 戻る
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浄運寺-長野県須坂市

・浄運寺 浄土宗 長野県須坂市井上2618浄運寺は建保2年(1214年)に法然上人の弟子である角張入道成阿弥陀仏(かくはりにゅうどうじょうあみだぶつ)が開き、不乱房寿長上人が初代住職となった、およそ800年の歴史を誇る、長野県で一番古い浄土宗寺院です。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-長野県長野市

・西光寺 浄土宗 長野県長野市北石堂町1398正治元年(1199)、善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建立。御本尊は、開祖苅萱道心とその子信照 坊道念上人(幼名石童丸)が刻んだ二体の親子地蔵尊です。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-長野県長野市

・西方寺 浄土宗 長野県長野市西町1019安養山極楽院西方寺の開山は正治元年(1199)に浄土宗の開祖法然上人が善光寺を訪れた時に、現在の権堂の往生院の地に開創したと伝えられています。また、弘法大師が大同二年に建立した宝乗寺がその時に浄土宗に変わったとも言われます。(リンク先より) << 戻る
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天然寺-長野県下高井郡

・天然寺 浄土宗 長野県下高井郡木島平村大字上木島3336-イ天然寺は浄土宗、京都総本山知恩院の直末寺であり、本尊は阿弥陀如来です。寺の草創は今から千二百年をさかのぼる大同年間(806~809)とされています。かつてはこの地方の豪族市河筑前守信房の帰依を受けて隆盛をきわめ、末寺十二ヵ寺を擁したと伝えられていますが、現在は高社の麓にひっそりとかつての面影を偲ばせるように佇んでいます。(リンク先より) << 戻る