法隆寺-奈良県生駒郡

仏教を本気で学ぶ

仏塔(ぶっとう)- ストゥーパ

仏塔とは、仏教寺院においてお釈迦様の遺骨である仏舎利を納めるために建造された塔のことです。世界最古の木造塔は法隆寺の五重塔ですが、その基壇中央部にある心柱の基部には仏舎利容器が納められています。仏舎利は瑠璃の小壷に納められ、これを純金の器に入れ、さらに銀器に入れて銅碗の中に置き、瑠璃小玉葡萄鏡と共に孔中に安置し、銅板のふたがされています。これは仏舎利についての一例ですが、詳細が分からないことが多い中で貴重な例だと考えられます。なお、七堂伽藍の一つに数えられます。仏塔のことを梵語ではストゥーパといい「塚」を意味します。「塔」の名は、ストゥーパを音訳した卒塔婆(そとば)・塔婆(とうば)を略したもの...
仏教を本気で学ぶ

金堂(こんどう)

仏教寺院において仏像を安置し、礼拝供養するための建物を一般的に仏堂と呼び、その中でも中心となる場所を金堂といいます。一般的に本堂とも呼ばれ、仏殿(ぶつでん)とも呼ばれます。他にも、仏堂は寺院境内に多数建立される場合も多く、安置する仏像の名称などによって、仏殿、釈迦堂、薬師堂、阿弥陀堂、観音堂、文殊堂、地蔵堂など様々な名称で呼ばれます。寺院境内の配置から見ると、中心に建てられる場合の他に、塔の背後または横に建てられる場合が多くあります。基本的には一寺院で一つの金堂を持ちますが、奈良時代に創建された寺院では、一寺院で複数の金堂を併置した例もあります。法隆寺の金堂は、現存する木造建築では世界最古と言...
仏教を本気で学ぶ

五重塔(ごじゅうのとう)

五重塔(ごじゅうのとう)とは、仏教寺院の五重の屋根をもつ塔のことです。元来は仏舎利(ぶっしゃり・お釈迦様の遺骨)を安置するためのもので、インドのストゥーパが起源です。我が国最古は法隆寺のもの、京都市にある東寺のものは高さ約57mで最も高いものです。<< 戻る
便り

御朱印には十七条の憲法の冒頭「和を以て貴しと為す」が書かれています。

御朱印には十七条の憲法の冒頭「和を以て貴しと為す」が書かれています。
市区町村の宗派別寺院一覧

奈良県生駒郡の諸宗派寺院

寺院情報を宗派別に掲載。住所等を参考にしてご利用ください。👍2 法隆寺 聖徳宗 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1👍2 法輪寺 単立 奈良県生駒郡斑鳩町大字三井1571👍2 円通山神南融念寺 融通念仏宗 奈良県生駒郡斑鳩町神南3-5-8👍2 中宮寺 聖徳宗 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2👍2 法起寺 聖徳宗 奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本1873大宝寺 融通念仏宗 奈良県生駒郡安堵町大字東安堵1314常徳寺 融通念仏宗 奈良県生駒郡安堵町大字窪田336妙楽寺 融通念仏宗 奈良県生駒郡安堵町大字岡崎560大福寺 融通念仏宗 奈良県生駒郡安堵町大字笠目500観音寺 融通念仏宗 奈良県生駒郡安堵町...
人物

西岡常一(にしおかつねかず)

飛鳥時代の優れた木造建築技術を現代に伝える宮大工。数百年に一度という法隆寺の全伽藍解体大修理の棟梁を務め、奈良の名刹・薬師寺の金堂および西塔を1300年前の様式で再建させた。「宮大工は1000年先を見据えた仕事をしなければならぬ」など代々法隆寺大工棟梁に伝えられてきた口伝の数々を語る。生誕 1908年(明治41年)9月4日命日 1995年(平成7年)4月11日光棟院常念大居士<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

法隆寺は聖徳宗に

第2次大戦後の1950年、法隆寺は聖徳宗を名乗って法相宗から離脱した。<< 戻る
年表

興福寺、薬師寺、法隆寺の3寺が法相宗の大本山に

1882年に興福寺、薬師寺、法隆寺の3寺が法相宗の大本山となった。<< 戻る
人物

鞍作鳥(くらつくりのとり)

鞍作鳥とは、7世紀初はじめごろ、飛鳥時代の代表的な仏像彫刻師です。鞍作止利とも表記されます。渡来人で仏教をつたえたと言われる司馬達等(しばたっと)の孫で、止利仏師(とりぶっし)ともいわれ、聖徳太子に用いられました。その作風には北魏(ほくぎ・中国)の影響が見られます。代表作に法隆寺金堂の釈迦三尊像(623年)があります。<< 戻る
便り

法隆寺-奈良県生駒郡

・法隆寺 聖徳宗 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1聖徳太子が斑鳩宮を造営されたのは推古天皇9年(601)。ほどなく太子は、ここに亡き父用明天皇のため寺の造立を発願され、推古15年(607)ごろに完成したのが法隆寺です。 太子は中国の優れた政治や文化、とりわけ仏教を積極的に取り入れ、四天王寺、中宮寺、広隆寺などの寺々を建立し、冠位十二階や憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などによって国の発展を計られましたが、惜しくも推古30年(622)49歳のとき、人々の悲嘆の内に薨去されました。(リンク先より)<< 戻る