江戸時代

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瑞林寺-新潟県新潟市西区

・瑞林寺 真宗仏光寺派 新潟県新潟市西区小針4-5-18瑞林寺はいまを去る四〇〇年以上前の、時は天下分け目、関ヶ原の戦いの時代の一六五七年慶長二年に越後を貫いて流れる信濃川下流に位置する新潟に、智了という方を初代の住職として、親鸞聖人のお念仏の教えを広めるために開かれた浄土真宗のお寺です。(リンク先より) << 戻る
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三光寺-岐阜県山県市

・三光寺 真言宗醍醐派 岐阜県山県市富永671-1弘法大師空海の註錫の地にして、明暦3年(1657)時の春長律師の頃、里人が当山の門下に流れる武儀川の淵より光明を見て之を探ると不思議なことに、薬師如来・阿弥陀如来・観世音菩薩の三体が埋もれているのを見て、里人は大いに驚き、これを淵よりすくいあげ、薬師如来を当山の本尊としてお祀りしたという伝説が残されております。(リンク先より) << 戻る
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潮音寺-三重県津市

・潮音寺 真宗高田派 三重県津市中河原554現存する最古の創建記録は明暦2年(1656)。開基は専修寺(現 真宗高田派本山)中興真慧上人の随弟、浄幸坊。本尊は元々専修寺の秘仏と同じ善光寺式阿弥陀三尊で、源三位の後裔乙部兵庫守藤政公の守護仏であった。(リンク先より) << 戻る
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久昌寺-岩手県盛岡市

・久昌寺 曹洞宗 岩手県盛岡市大慈寺町1-5久昌寺は創建当初「久昌庵」という庵寺であって、十一屋某者(現盛岡市下ノ橋十一屋の先祖)が祇陀寺の奇山快秀和尚の為に造った閑居でありました。 快秀和尚は十一屋三代の当主高橋祐吉と相談し、周囲の谷地を求め伽藍を建立し、布教・法要を執り行う道場とし、明暦二年(1656年)開山導師として、報恩寺九世蘭翁嫩芝大和尚を勧請し、自ら二世大和尚として住職になられ、その時から「奕葉山・久昌寺」と公称するようになりました。ご本尊は釈迦年尼佛、脇侍は文殊菩薩・普賢菩薩であります。(リンク先より)<< 戻る
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浄円寺-青森県つがる市

・浄円寺 浄土宗 青森県つがる市柏桑野木田字福井13-1浄円寺が開かれたのは明暦元年(1655)のことです。開基は浄土宗祖、法然上人の高弟である金光上人、御本尊は阿弥陀如来です。地域に育まれ、檀信徒の皆様に見守られて歴史を積み重ねてきました。(リンク先より) << 戻る
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高蔵寺-岡山県倉敷市

・高蔵寺 高野山真言宗 岡山県倉敷市中島186承応三年(1654)創建、海誉阿闍梨が第一世住職です。近年まで高蔵寺の創建について、「都窪郡誌」「中洲町誌」「倉敷市誌」などでは、いずれも不詳とされてきました。しかし、最近になって発見された古文書によってその創建があきらかにされました。(リンク先より) << 戻る
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源光寺-広島県三次市

・源光寺 浄土真宗本願寺派 広島県三次市西酒屋甲156毛利元就家臣・福間源左衛門正成が、我が子の討死などを縁として世の無常を観じ、本願寺・顕如上人に法謁の後、得度。法名を覚栄と授かり、高田郡に寺院を建立。西酒屋村に移住した後、原村へ寺基を移転するにあたり、二世覚証の弟・慈教を酒屋に残す。承応3年春、源光寺が両酒屋の総講寺として建立された。(リンク先より)※承応3年 1654年 << 戻る
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正行寺-東京都葛飾区

・正行寺 浄土真宗本願寺派 東京都葛飾区四つ木5-15-21正行寺は、円受法師(承応3年1654年寂)が開山となり、元々は三河国に創建されました。<< 戻る
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明栄寺-熊本県天草市

・明栄寺 曹洞宗 熊本県天草市新和町小宮地1300金剛山 明榮寺は、承応2年(1653)に東向寺門末として中華珪法大和尚を開山として建立。寛文2年(1663)に當山2世 中興 蜜山道實大和尚により再建。寺石2石の石高も付与されていた。その後の資料が紛失によって不明。(リンク先より) << 戻る
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天龍寺-福井県吉田郡

・天龍寺 曹洞宗 福井県吉田郡永平寺町松岡春日1-64天龍寺は福井市郊外の松岡町にある松林のふもとある曹洞宗の大本山永平寺の末寺です。1653年に松岡の初代藩主松平昌勝公の命によって建てられました。(リンク先より) << 戻る
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浄行寺-熊本県熊本市南区

・浄行寺 浄土真宗本願寺派 熊本県熊本市川尻1-5-871652年(承応元年)慶智の開基で、熊本市坪井にある浄行寺の末寺。本尊は安阿弥様(あんなみよう)との伝えがある二尺二寸の阿弥陀如来です。(リンク先より) << 戻る
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香林寺-石川県金沢市

・香林寺 曹洞宗 石川県金沢市野町1-3-15慶安4年(1651)に加賀藩家老青木五兵衛が加賀藩3代藩主前田利常公に願い出て、長岩和尚を開山として建立された曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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勝明寺-兵庫県神戸市西区

・勝明寺 曹洞宗 兵庫県神戸市西区平野町西戸田818明石城主松平忠国が寺地を寄道したとのお墨付きがあり慶安四年(1651)の創建となっている。観音堂を設け、聖観音菩蕯を本尊とする。明石群三十三箇所礼所〔貞享二年(1658)より開始〕の十四番礼所として揚げられている。(リンク先より) << 戻る
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建中寺-愛知県名古屋市東区

・徳興山 建中寺 浄土宗 愛知県名古屋市東区筒井1-7-57建中寺は慶安三年(1650)に逝去した初代尾張藩主義直公(家康の九番目の息子)の菩提を弔い、尾張徳川家先祖代々の菩提寺として、また尾張藩全ての人々の心の拠り所とする為に、第二代尾張藩主徳川光友卿が、慶安四年(1651)境内地約五万坪(165,000㎡)の敷地に、本堂をはじめとして諸堂伽藍十棟を建立し、茨城県結城市弘経寺の成譽廓呑上人を招請して開山した。(リンク先より) << 戻る
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開眼寺-長野県千曲市

・開眼寺 臨済宗妙心寺派 長野県千曲市八幡中原249慶安4年(1651年)臨済宗妙心寺第一座、 龍天宗登(ろうてんそうと)大禅師が開創しました。本堂の大悲閣は元禄4年(1691年)二世 の祖英和尚により建立されました。本尊の聖観音菩薩と脇侍の阿弥陀如来と地蔵菩薩は いずれも100センチ余りの一木造りの全身金色の尊像です。(リンク先より) << 戻る
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正俊寺-大阪府枚方市

・正俊寺 曹洞宗 大阪府枚方市長尾宮前2-2-1長尾山菩提院正俊寺(しょうしゅんじ)と号し、古刹の法灯を伝えています。当寺は、慶安四年(1651年)江戸時代、河内領主久貝因幡守正世 が父である因幡守正俊を弔う為に菩提寺として創建された寺です。(リンク先より) << 戻る
年表

慶安の変

1651年、慶安の変。由井正雪を首謀者とする浪人たちが企てた幕府批判の反乱未遂事件。<< 戻る
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観音寺-奈良県橿原市

・観音寺 高野山真言宗 奈良県橿原市小房町6-22慶安3年(1650)4月、ある日の早朝のこと。この地で暮らす「おふさ」という娘さんが、鯉ヶ淵のそばを歩いていると、白い亀の背中に乗った観音様が、目の前に現れたのです。おふささんは、池のそばに小さなお堂を建て、そこに観音様をおまつりすることにしました。(リンク先より) << 戻る
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妙願寺-和歌山県日高郡

・妙願寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県日高郡日高町志賀2988文明年間から明応の頃、六郷左衛門という深く浄土真宗に帰依されたお同行が、護法の念篤く、縁あって紀州日高郡志賀村に隠遁して、ひたすら報謝の生活に明け暮れていましたが、慶安3年(1650)2月に一宇を建立し、先祖を奉拝しました。六字の名号を掛けて、初代住職了宗法師を迎えて惣道場(そうどうじょう)としました。 (リンク先より) << 戻る
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永福寺-静岡県浜松市西区

・永福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市西区大平台4-34-1入野郷田端を往来する雄踏街道北側に於いて不却徳公禅師開山以来、入野郷本所龍雲寺の末寺の法脈を伝える。当山の開創の年代は不詳である。過去帳には慶安三年(1650)年の戒名が記載され、第二世槐翁西堂和尚が元禄七年(1694)9月6日入寂している。(リンク先より) << 戻る
年表

青岸寺と改称

慶安3年(1650年)、曹洞宗に改宗し青岸寺と改称した。<< 戻る
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圓應寺-神奈川県相模原市中央区

・圓應寺(えんのうじ)のホームページ 真宗大谷派 神奈川県相模原市中央区陽光台1-11-11慶安 2年 2月 1649年 三河国碧海郡安静の庄、服部氏 円応により開基す。江戸時代中期 年号不明 越後国(現 新潟市)に移り、以後二百年に亘り教化活動をなす。(リンク先より) << 戻る
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愛染寺-石川県加賀市

・愛染寺 高野山真言宗 石川県加賀市片山津温泉11-3-5愛染寺の興りは六百年以上前。かつては「愛染坊」と称し、兼六園近くに建立されていました。慶長年間、卯辰山に新寺を建立するにあたり、寺号を廃止し仏像などを譲ったと云われております。1649年(慶安2年)には加賀藩五代藩主・前田綱紀公が当山の再興を発願。「鎮護山 愛染院」として再建され、以来、前田家の安産祈願所とされました。(リンク先より) << 戻る
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長円寺-長野県茅野市

・長円寺 真言宗智山派 長野県茅野市玉川11373当山は慶安二年(1649)、武田慶尊法印が高野山金剛頂院の法流を相続して開山、要穴山胎蔵院長圓寺と号した。境内地は諏訪藩二代藩主諏訪忠恒公より新田村として開かれた穴山の地である。(リンク先より) << 戻る
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文殊院-茨城県かすみがうら市

・文殊院 真言宗智山派 茨城県かすみがうら市下志筑675慶安2年(1649)、宥圓上人が真言宗寺院として再興したことをもって中興開山としていますが、慶長7年(1602)の古文書に、常源寺(当院の正式名称は豊森山常玄寺文殊院)という名前があることから、真言宗になる以前の寺院があったと思われます。(リンク先より) << 戻る
年表

慶安の御触書

1649年、慶安の御触書が出される。農民の取りしまり。<< 戻る
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東陽院-東京都中央区

・東陽院 日蓮宗 東京都中央区勝どき4-12-9慶安元年(1648年)、浄源院日隆によって開山されました。もとは浅草永住町(現・東京都台東区東上野)にあった善立寺(現在は足立区に移転)の塔頭でしたが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で焼失したため、善立寺から分離独立して、現在地に移転しました。江戸時代の戯作者で『東海道中膝栗毛』の作者として知られている十返舎一九の墓碑があります。 << 戻る
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善正寺-京都府木津川市

・善正寺 真言宗御室派 京都府木津川市山城町上狛巽町10百済より奉納された釈迦如来像と経典が、山城の地の草室へ納められたとされます。これが、日本列島最古の寺院の一つとされる高麗寺の発祥と推定されます。欽明天皇崩御の後、即位した敏達天皇は高句麗と国交を開かれ、山城の地に伽藍境内を造立して高麗寺と名付けられたとされます。高句麗より渡来した氏族・狛氏がこの地に居住したことから、この地域は現在も上狛と称されていると考えられています。平安時代の天長4年(827年)頃に最盛期を迎えた高麗寺の境内は、大金堂、南大門、大講堂、八宗教院四季講堂、法華堂、常行堂、皇太子殿、祖師堂、勧学院論義堂、開山堂、五重塔など...
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萬福寺-長崎県長崎市

・萬福寺 真言宗御室派 長崎県長崎市旭町23-27正保4年(1647)創立今の淵神社上の山を妙見嶺又は虚空藏峰とも云う。伝説によれば、ここは元神宮寺の支院であった所で、寺は麓なる海岸にあって、そこには弁財天の祠を設け、山頂には虚空藏菩薩と玄武神とを祀り之を妙見と云った。これが山の名の起こりである。山の一名を寳山と云い、後また寳珠山とも云うた。この峰が茂り鮮やかでその形が寳珠に似て居たからであると云う、意味のことが長崎圖史に書いてある。(リンク先より) << 戻る
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萬行寺-長崎県西彼杵郡

・萬行寺 真宗大谷派 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷1411612年(慶長17年)、秀吉による「切支丹(キリシタン)禁令」が発令されたことにより、大村藩内は仏法の興隆の地となっていた。その動きの中、1647年(天保4年)真宗専念山正法寺(大村藩)の末寺として、松浦(佐賀)出身の御厨左馬之助/みくりや さまのすけ (釈道夢)により開基された。 道夢は小島(現在地より100m位の地)に仏像を安置し庵を設け、真宗の法を広め庶民の強化に励んだ。その後三世了閑(りょうかん)により、1666年(寛文6年)、現在地に堂を移し、一尺八寸の阿弥陀如来を西本願寺より免許され本堂と庫裏を建立。1683年(天和3年)に「...
人物

沢庵宗彭(たくあんそうほう)

沢庵宗彭とは、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧侶です。大徳寺住持。諡の普光国師は、300年忌にあたる昭和19年(1944年)に宣下されました。号に東海・暮翁などがあります。但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれで、紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いた。書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残している。ダイコンの漬物である沢庵漬けの考案者と言われています。紫衣事件江戸幕府が成立すると、寺院法度などにより寺社への締め付けが厳しくなります。特に、大徳寺のような有力な寺院については、禁中並公家諸法度によって朝廷との関係を弱めるための...
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光国寺-宮城県遠田郡

・光国寺 時宗 宮城県遠田郡美里町二郷字前袋一号28-4当寺院の正式名称は[高玉山光国寺(こうぎょくさんこうこくじ)]と言い正保二年(1646年)に永福寺(現、涌谷町)の当時の住職[微阿直蓮和尚]が説教所として当時の二郷村高玉に開山した時宗のお寺です。(リンク先より) << 戻る